株式会社 Jコスト研究所

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J-Cost Research Center

連載コラム『Jコスト改革の考え方』目次

JBpress連載コラム『本流トヨタ方式』

ビジネス情報サイトJBpressにおいて、2008年から2013年までの間に合計104回のコラム 『本流トヨタ方式』 を連載していました。

現在連載中のコラム 『Jコスト改革の考え方』と併せて読んで頂くと、より深くJコストの考え方がご理解頂けるかと思います。是非、下記のリンクにアクセスしてみて下さい。

JBpress連載コラム『本流トヨタ方式』

過去の所信表明





2026年1月

2026年所長の年頭ご挨拶

米国軍によるベネズエラの現職マドゥロの大統領を誘拐…?というとんでもない事件ここから始まった2016年も10日余経ちました。遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げます。

皆様、あけましておめでとうございます。

中国の諺に『先ず隗より始めよ』というのがあります。皆さまに業務改革をお薦めする立場の弊社が、自社のHPのスタイルを変革せずして、何の顔あって人様に改革をお薦めすることができようか…、と思い立ちました。

[1] 本年度から始める弊社HPの新しい取り組み

〜YouTube等の活用〜

実は、約20年前になりますが、日産自動車の生産部門の研修会で『トヨタ生産方式』と『Jコスト論』について、『日産生産方式』と対比して

『ものづくり工程を全体像として捉える〜Jコスト論〜』

というタイトルで講演致しました。その時に日産側で録画ビデオを編集し、日産グループ内で教材として使って良いかとの打診があり、弊社も自由に使うという約束でこの動画が製作されました。

今回、内容を再確認しましたが、講演内容は何ら時代遅れの面は無く、現在活躍している皆さまにお伝えしたいことが詰まっていましたので、これをYouTubeに掲載し、皆さまに見て頂くことにしました。

正味60分のお話しを、YouTubeの『一話15分』の枠に入れるために、「機械的に四等分しています」ので、話が途中でプツッと切れてしまいますが、どうかご勘弁ください。次の回は切れたところから始まりますので、毎回、前の回の途中から聞くなどの工夫をお願いします。

正式タイトルは
『2006年 日産自動車・生産部門研修会での講演「ものつくり工程を全体像として捉える〜『Jコスト論』〜」』となっております。

以下は「Jコスト論」で検索してください

ご参考までに、トヨタから派遣されたものつくり大学教授が何故日産で講演するに至った経緯について以下ご説明致します。

ものづくりの業界では、1990年に入ると、ドラッカー博士が21世紀には科学技術が進化するので、現場で職工を指導出来るような腕を持った技術者(Technologist)が必要となると説きました。一方日本では1950年から1960年代に創業した日本の中小零細企業の初代の創業者は、現場も帳場も切り盛りしていましたが、2代目は社業発展の観点から帳場重視で、現場は職工任せの風潮が強くなり、技術に後れが目立つようになりました。ここからは、初代のように、現場の職工をリードし、帳場にも詳しい人材の育成が求められるようになりました。

大企業でも、大学で狭い範囲の中で世界のTop技術を学んだだけの技術屋では、現場は管理出来ないので、世界の最先端でなくても良いから、現場で職工を指導出来るような幅拾い知識と腕を持った人材が必要になってきました。

これに呼応して、経団連・文科省(大学)・厚労省(中小企業・職業訓練)が一体となり、小渕内閣で『ものづくり基本法』が制定され、『ものつくり大学』が設置されたのでした。

ものつくり大学は埼玉県行田市にありましたから、最寄りの有名な自動車会社として日産の『日産生産方式(NPW)』の推進本部長だった松元部長に『講義』をお願いしたのでした。当時日産の生産部門のトップは松本副社長でしたので、松元部長は『マツゲンさん』という愛称で呼ばれ、一目置かれる人材でした。奇しくも、元トヨタ生産方式の推進部長と、現職の日産生産方式の推進部長が顔を合わせたのでした。お互いに馬が合い、筆者が日産の生産部門の研修会で講演することになったのでした。因みに、松元さんは後日、日産の副社長にまで出世しました。

当時の日産は、1999年に始まったいわゆる『ゴーン改革』で見事な復活を遂げていましたが、成すべき改革のネタが無くなった頃で、トヨタの話を聞かせて、それを刺激にして更なる改革を進めようとしていたのだと思います。

この講演の後、フランス国内で、ルノー車と日産車の配送に『Jコスト論』を適応し効果があったと言う礼状を頂きました。

読者の皆さま、『この時使ったPP』は弊社にありますので、弊社にメールで請求いただきますと、PDFでお送りいたします。

[2] 2026年の経済予想と皆さまへの提言

一昨年来、この地球上に住む人類は。【A】ウクライナ戦争、【B】イスラエル内戦、【C】異常気象、【D】人口爆発、【E】宗教対立という大きな問題を抱え、衰退への道を辿っている…。と警鐘を鳴らしてまいりました。

それから2年経った今年、2026年はどのような年になるのでしょうか?

【A】ウクライナ戦争

ウクライナ戦争は、ウクライナのしぶとい反撃で、ロシアの老朽化していたインフラ施設、特に稼ぎ頭であった天然ガス、石油関連施設が損傷を受け、強大であったロシア連邦の屋台骨が崩れ、民族的な特徴ある22の共和国からなるとも称されていますが、アジア系民族、イスラム教国にとっては独立の機会を狙っているとされています。東満州の沿海地方は、清朝末期にロシアにだまし取られたような領土、中国は、独立させて支配下に置く野望があるという見方もあり、最終的にはロシア連邦が敗れ、小規模なロシア連邦に萎縮するのではとみられています。

【B】イスラエル内戦

戦争をやめると投獄されるネタニアフ首相は、戦争を続け結果として、世界中の平和を秘話を願う人々からイスラエルのみならず、世界中に住んでいるユダヤ人に対して、パレすティナの民衆にむごい仕打ちをする民族として非難の目が向けられ始めています。その結果として。世界各地で平和に暮らすユダヤ人反発でからネタニアフ首相は嫌われ、失脚するでしょうが、イスラエル国内はどう再建するのか?不安定状態は続くことでしょう。

【C】異常気象

異常気象、従来は熱波、巨大ハリケーンでしたが、世界各地で住宅を襲う巨大山火事が報じられるようになりました。更に大気の流れが変わったことで、この冬大寒波の被害が伝えられています。これら異常気象すべてCO2のせいだとされていて、その対策としてEV化を進めましたが、皮肉なことに現在のリチウム電池によるEV化は災害に対して非常に脆いということが世界中で確認されました。


結果として安易にEV化を図った自動車メーカーは厳しい経営環境に晒され、淘汰されていくものと思います。

【D】と【E】はコメントを省略いたしますが、2026年には新たなる問題が顕在化してきました。

【T】隣国韓国の財政破綻

1997年の破綻時には、IMFの厳しい指導で回復しましたが、今回はIMFの勧告を無視し続けての破綻なので、どのようにして回復させるのか心配です。

日本は韓国に対しては、2024年度では約80兆円の輸出があったのですが、これが大幅に減少することでしょう。

【U】中国のバブル崩壊

中国政府が永年に亘ってインフラ整備に多大の投資を行ってきましたが、そこからの収入が伸びず、多大な負債を積み上げているとの事です。

日本の対中貿易額は、2024年度輸出156億ドル、輸入167億ドルで2021年度のピークから減少しています。その前に心配なのは、倒産した企業、場合によっては一つの業界が在庫一掃セールを行い、その大津波が日本市場に押し寄せることが懸念されます。

中国国内では、2019年のコロナ感染防止で強権を用いて都市を封鎖したため、多くの中小企業が潰れ、結果として失業者があふれ、加えて不動産バブルが崩壊し社会が大混乱に陥っていると言われています。中国に進出した日本企業は、チャイナプラスワンと称して、生産設備の一部をベトナムやインドネシアに移しています。ここ数年中に、中国経済に大異変が起きることは間違いなく、中国国内に売れ残って溜まった安価な製品が、鉄砲水の如く船世界を襲い、それが引き金になって『世界大恐慌』が起きると断言する学者もいます。

資本主義国では、各企業が市場での販売状況を見ながら生産しますが、中国のような共産主義国の国営企業は、国家の目標として生産量が決められ、どれだけ達成したで、管理者の成績が評価されると聞きます。

新幹線網は張り巡らしていますが、客の数がまばらな区間が多いとか…。住宅建設は殆ど投資目的で購入する人が多く、完成した高層マンションも、住んでいる人は少ない時居ていました。コロナ前は、年間6〜8週ほど中国を訪れていましたが、実際に夜灯りがともっている窓は少ない事と、建てかけで工事が中断している団地を数多く確認しています。

環境対策として、中国が国家を挙げて増産した『中国規格』『太陽光パネル』『風力発電』『リチウム電池』『電気自動車』等は、中国国内に在庫は山と積まれています。

中国が危機に瀕する前に、政治的な貿易障壁を作っておかないと、大変なことになる恐れがあります。

【V】国連常任理事会の権威失墜

世界平和は国連によって維持され、その国連は【米】【英】【仏】【露】【中】の常任理事国によって導かれる構造になっている事で平和が維持できる…構造でしたが、

英国は『Brexit』傷から回復出来ず。仏国は社会保証を巡って左派と極右が対立し、政治的不安定になっています。露国と中国は、前述のように危機に瀕しております。

こんな中で、米国はベネズエラを急襲して大統領を誘拐しました。

それぞれに脛に傷のある常任理事国では、忍び寄る世界背大恐慌を回避することも、早期回復を期待することは出来そうにありません。

そんな中で思い起こされるのが、1950年代潰れかかったトヨタ自動車を立て直した石田退三社長の言動です。

『自分に城は自分で守れ!』と檄を飛ばし、社内の改革を進め、その基礎の上に、現在のトヨタがあります。

『自分に城は自分で守れ!』の真意は、文字通り、神頼みや、行政に陳情すれば何とかなるという『甘えた考えで会社を経営するな!』ということです。当時の具体例を一つ挙げると、『7割操業でも利益を出せるようにせよ!』というものでした。

この辺の具体的な話は、後日、しっかり御説明する予定でいます…。

自動車業界と正反対の経営をしたのが電機業界でした。一口で言えば、優秀な人材を大量に採用し、ゼロから最新の技術を教えたのに、市場で製品が売れなくなると『希望退職者』を募り解雇していく…の繰り返しでした。

中韓の電機メーカーは、プロ野球の選手募集と同じように、学会での発表や、社員からの聞き取り調査で、優秀社員のリストアップを作り、裏から2〜5倍の年俸で引き抜きを図りました。『希望退職者』というのは、この人達に大義名分を与えた事になります。

現に大手メーカーの技術者がサムスンの専務に転職し、数億円の年俸で半導体事業を立ち上げた人を知っています。

2026年の今日、日本の自動車業界は、世界のTopを走っていますが、電機業界は完全に立ち後れ、今は国策として政府のてこ入れで、再びTopになれるように頑張っている最中です。


とかく誤解されがちですが、企業の競争力は『価格』ではありません。

肝心なのは『どんなことがあってもブレない品質と圧倒的な短納期』です。

それを維持するための『人材の育成』にあります。

2026年の『季節のご挨拶』のコラムでは、このテーマに沿ってお話しして行きます。どうぞご期待ください。

尚、『TOYOTAとNISSANの歴史をJコスト論で斬る』は永らくお休みしていましたが、今月中にリリースいたします。ご期待下さい。


2026年1月吉日
(株)Jコスト研究所 代表 田中正知



2025年9月

所長 季節のご挨拶

地球温暖化が叫ばれて久しいのですが,今年の暑さは異常に思いました.『AI』に尋ねてみると,今年の8月名古屋の日中最高気温は,体温である36度を超えた日が20日余あり,尻上がりに熱くなり,月末には40度を超えました.

9月になっても相変わらずの高温が続いておりますが,皆様いかがお過ごしでしょうか…….

まもなく84歳を迎える筆者には,この暑さ堪えました.できるだけ外出は避け,エアコンの効いた室内に閉じこもって過ごしました.


私にとって8月というのは,『少年期の南信州の夏休み』『太平洋戦争の終わった月』という二つの意味で,特別な月です.

今回は季節のご挨拶として,『8月に対する私の思い』を申し述べたいと思います.

長丁場になりますので,以下のような章立てでお話しします.

[1] 70余年前の8月の思い出

私の少年時代を過ごした南信州,伊那谷の東側の喬木村では,標高約500mという事もあり,日差しはきついものの,空気は乾燥しており,木陰では涼しく過ごせました.この気候が,白桃・梨・林檎という3種類の果物が獲れるという奇跡をもたらしたのでした.

7月の下旬の獲りたての白桃は,バリバリとかじる事が出来,種はポロリと取れます.この状態の桃が筆者は大好きでした.この桃も8月になると都会の店頭の白桃のように果肉が柔らかになり,果汁をしたたらせながら食べる状態になってしまいます.皆様も是非一度はバリバリとかじる桃のおいしさを味わって頂きたく思います.

AIが描いた白桃

田植えと稲刈りの季節に『農繁休暇』のある田舎の夏休みは,8月1日から盆明けの16日まででした.夏休みは数km先にある渓谷の滝壺で泳ぐのが楽しみでした.その川には伝説があり,『七夕以降に泳ぐと流される』と言われていました.反抗期だった私は8月10日くらいに泳ぎに行きましたが,いつもの仲間はおらず,川の水が冷たく感じました.この冷たさが事故を起こしやすいという警告だと知りました.

恒例で8月15日には校庭で盆踊りが行われ,浴衣が,夜風が心地よかった記憶があります.

そしてお盆を過ぎると夜間はぐっと涼しくなり,掛け布団を着て寝られるようになります.南信州の夏は短く,メリハリのある日々でした.

大学進学してから今日まで,ほぼ名古屋で生活していますが,名古屋の夏は長く蒸し暑い毎日です.それ故,少年期の信州の夏が心に残っているのです.

[2] 8月といえば太平洋戦争が終わった月です

2-1. 終戦直前から戦後の復興までの出来事

今年は終戦80年目に当たりますから,さぞかし新しい視点からの取り組みがあるかと期待しておりましたが,全く通年通りで,『戦争は悲惨だ!』『二度と起こしてはならない!』といういつもの論調に終わりました.


話は飛びますが,最近インターネットが便利になりました.特に『Copilot』『Gemini』等の『AI』が流行っています.

筆者も使い始めて,その能力に驚いております.何か質問をすると,ネットにある膨大な資料から話をまとめて報告してくれます.

気になっている問題を直球で質問すると,その回答はズバッと『的を射貫いた』回答が多く『やっぱり!』『えっ!』と言った感想が湧きだし,筆者は今ハマっています.

現実の社会と整合させるために,時々刻々『AIの環境』は変化している様子ですが,今のところ,政府の意向だとか,世の中の流行りだとか,日本独特の忖度などを感じられないズバッとした回答がまだ得られるようです.ぜひ皆さまも,官憲の規制が掛からぬ今のうちにお試しをお薦めします.

以下,いつもと違った角度から,太平洋戦争前後の歴史を眺めてみましょう.

2-1-1. 『なぜ世界初の原爆投下が8月6日だったのか』

この問いには,恐るべき回答がありました.1945年2月クリミア半島で開かれた米国ルーズベルト大統領・英国チャーチル首相・ソ連スターリン書記長の『ヤルタ会談』で,『ドイツ降伏の3カ月後にソ連は日ソ不可侵条約を破って対日戦線に参加する.その見返りに,樺太南部と千島列島をソ連に与える……』という密約が交わされていたのでした.

一方アインシュタインなどドイツ追われたユダヤ系の物理学者は,ナチスより先に『原子爆弾』を作らないと世界はナチスに占領されるという脅迫観念から,大統領に直訴し,マンハッタン計画の名のもとで密かに原爆を開発していました.


1945年7月16日原爆実験『トリニティー実験』成功の報告がトルーマン大統領に届きます.

ドイツは5月7日無条件降伏していましたから,ヤルタの密約でソ連が8月7日以降,日ソ不可侵条約を破棄して対日戦線に参加することになっています.東西に分離させ東側を占領するなど,ドイツの戦後処理ではソ連に好き放題にやられていることを考えると,米国の自力で勝利したという形にする必要があり,ギリギリの8月6日に原爆投下に踏み切ったとされています.

もしもこの時原爆がなかったら,8月15日の日本の無条件降伏が遅れ,ソ連軍が北海道に上陸し,北海道が今の朝鮮半島のように分割された恐れがありました.

詳しくは以下のYouTubeを参照して下さい.

1996年『米国空軍博物館』を見学する機会がありました

ここでは,原子爆弾に関する展示が行われていて,第二次世界大戦中に開発された原爆の模型や,マンハッタン計画に関する資料,当時の写真や映像資料などが展示されており,原爆開発の経緯やその歴史的背景について学ぶことができます.また,実際に原爆を投下したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」の実機展示もありました.

『原爆投下によって戦争を早く終わらせることができ,米兵の命を救った……』という説明が成されていました.

広島へ投下されたウラニウム型の原爆『リトルボーイ』のレプリカ
長崎に投下されたプルトニウム型原爆『ファットマン』のレプリカ
2-1-2. ロシアと日本の国境問題
日本とロシアの国境 予習編 より

流氷で有名なオホーツク海は,シベリアから流れ込む栄養豊富な淡水による表層部の淡い塩分と,深層部の濃い塩分の2層に分かれていて,漁業資源が豊富とされている,また,樺太周辺では,石油・天然ガス資源が豊富であるとされています.

北海道を分割して東北部をロシア領とすれば,オホーツク海はロシアの内海とでき,核を搭載した原子力潜水艦を配置すれば,絶対に攻撃されない原発の保管庫になるわけで,軍事的優位を確保出来ます.

先に述べたヤルタの密約でスターリンが狙った本心は,北海道割譲にあったと思われます.

現に8月15日昭和天皇のポツダム宣言受諾の玉音放送をもって,太平洋戦争は『撃ち方やめ!』の状態になったが,ソ連軍だけは満州及びオホーツク海方面で,降伏の調印式(9月2日)までは戦争中であるとして進軍を続けました.

  • 『無条件降伏後,ソ連の北海道侵攻とそれを阻止した日本兵の話』

これほどまで努力して手に入れた千島列島!その軍事的価値を見れば,ソ連には『北方四島の返還』などはやるつもりは全くなかったと思います.


ロシア民謡・ロシア文学・バレエ・音楽はすばらしいのですが,白人が他民族を支配している複合国家で,恐ろしい反面を持っている事を忘れてはなりません.

  • 『シベリア抑留』
  • シベリアからの我が子の帰りを待つ母の歌『岸壁の母』
2-1-3. 戦争の『植民地解放』の側面は列強によって消し去られた

日露戦争は,当時の白人に支配されていた有色人種の植民地にとって,自分たちでも独立ができそうだという希望を与えました.

第一次世界大戦後,日本はなんと国際連盟の常任理事国になりました.

黄色人種である日本は常任理事国として『人種差別反対の大原則』を国際連盟に持ち込もうとしましたが,実現できませんでした.

アジアでは,日本とタイを除いてすべての国が欧米の植民地となっていました.具体的には,インド(英),パキスタン(英),ミャンマー(英),マレーシア(英),ベトナム(仏),ラオス(仏),カンボジア(仏),ブルネイ(英),マレーシア(英),インドネシア(蘭),フィリピン(米),等々

100年前,台湾と韓国とは日本の植民地だったという人が居ますが,それは間違いで,皆同じ『日本臣民』だったのでした.戸籍上は日本名で登録され,同じ義務教育を受け,同じ徴兵制度でした.欧米の植民地政策とは全く異なっていました.社会インフラ,基礎教育が充実していたので,終戦後,日本は急成長しましたが,台湾と韓国は同じように急成長を遂げ,部分的には日本を凌駕する部門も出てきました.

次に急成長したのが,独立を通した『タイ王国』です.先に述べた欧米の植民地だった各国の経済発展の進度を見れば,台湾・韓国との差が分かると思います.これが,台湾・韓国がいわゆる『植民地』でなかったことの証拠です.


日本から見た太平洋戦争のもう一つの目的は,欧米先進国の植民地からの民族解放を旗印に,八紘一宇の精神の下でアジア国家を作ることでした.戦争前半は破竹の勢いで進みましたが,後半になると,補給網が断たれ,民家から食料を調達(強奪)するようになり,民心が離れてしまいました.

自衛隊が災害援助に出かけるときは,退院の食料は自己調達しています.もし自衛隊員が食料が切れたと言って民間人の食糧を横取りすればどうなるでしょうか…….そんな状態が日本軍の先々で起きたようなのです.さらにまずいことは,日本軍は負けて引き上げていきますと,戻ってきた宗主国は,人民が日本につかないよう徹底的に『日本は凶暴な侵略者で,宗主国がその侵略から植民地住民を守った』のだという思想教育を行ないました.

『戦場にかける橋』で有名なタイとミャンマーを繋ぐ鉄道は,映画では鉄橋の部分が爆破されることになっていますが,植民地ではなかったタイ側は,戦争後修復され今も使われています.ミャンマー側は,イギリス政府の意向により破壊されたままになっていて,その廃線の脇に『日本兵が銃剣でおどして現地人に鉄道敷設されている像』が建っています.

このように日本兵が引き揚げた後,独立運動が再開しないように宗主国が必死になって日本軍の植民地解放の証拠を隠滅したのでした.

  • 『独立運動を指揮していたアジアの指導者の日本無罪論』

2-1-4. 昭和天皇は降伏と戦後の復興に尽力した

立憲君主として,民の意を汲むことに重きを成してきたので軍部の暴走を止めることができませんでした.

史実によれば,張作霖の死を巡って田中義一首相を厳しく叱責したら,間もなく急死した(1929年9月).『天皇に叱られ切腹した』と言う噂も立ったと言います.この事件により昭和天皇は,軍部の暴走を止める力の限界を知るのでした.

しかし無条件降伏(ポツダム宣言)を受諾するか否かの場面では,軍の反対論を押しのけ,拘禁・処刑という厳しい処遇を覚悟の上で,受諾を決定したのは昭和天皇だったとされています.

  • 敗戦とこれからの日本の道を示した昭和天皇の玉音放送
  • 玉音放送現代文版
  • 『敗戦後の日本を救った昭和天皇……』

参考までに

2-2. そもそもなぜ太平洋戦争が起きたのか

米国の太平洋戦略を第三者の立場で見直すと,以下の様な見方が出来ます.

お時間がありましたら,諸兄が自らネットで,時には『AI』を使って調べ上げ,諸兄の独自の歴史観を確立することをお薦めします.

1995年日清戦争と下関条約

1960年アロー戦争を終結するための北京条約が結ばれロシアはその仲介役を作りましたその功績を名目にロシアは新から沿海州を獲得し,ロシアは念願の不凍港ウラジオストクを軍港として整備しました.

考えても次に狙うのは韓国です.その韓国は清朝の属国となっており,ロシアの脅しにかかって韓国を手放すことも考えられます.

それで日本は韓国を独立ことにして独自に日本と国交を樹立させ,ロシアの更なる南下の防波堤にしたいと考えました.

下関条約では,@朝鮮半島の独立 A台湾割譲 B遼東半島領有 C賠償金を決めましたが,ロシアはドイツ・フランスと組んでBを中止させた(3国干渉).

そのあと遼東半島南部(旅順)はロシアが租借し砲台と軍港を建設した.

1998年米西戦争,フィリピンがアメリカの植民地に替わる

アメリカの膨脹主義が止まらずカリブ海のキューバ・ドミニカ当の領有をめぐってスペインと戦争を起こし,スペインに勝利したため大航海時代からのスペインの派遣をアメリカが引き継ぐ形になった.太平洋で言えばグアム・フィリピン諸島までが米国の支配下になった.

1904〜1905年日露戦争

この戦争は,英米に乗せられてやってしまった戦争という面もあります.ロシアが朝鮮から日本への侵攻を狙っていると忠告し,軍艦を売付け,いざというときはバルチック艦隊にスエズ運河を使わせないという日英同盟を結び,裏からけしかけたのが英国でした.

戦争が長引き,日本の国力の限界を見極め和平工作に乗り出したのが米国でした.結果として,軍艦から弾薬までを売り込んで利益を稼ぎ,自らは一匹の血を流さずロシアを後方に追いやった,英国と,米国の外交手腕はしたたかでした.


日露戦争は全世界に大きな影響を与えました.

  1. 日本自身は,世界最強といわれたバルチック艦隊を全滅させた自信が,海軍を巨艦主義に追い遣り,後年戦争資源の枯渇した状況で実戦では使いようのない巨大戦艦『武蔵』,『大和』を造り上げ,敵国に一発の砲弾をすら撃ち込ます沈没しました.
  2. 有色人種国家が白人国家と戦って勝った事で,植民地からの独立運動が活溌になり,日本に数多くの志士が集まるようになりました.
    孫文・黄興・宋教仁……等々
    日本にもアジアの連帯を唱えるアジア主義の思想が広まり,独立運動家たちを支援する人たちが現れました.犬養毅・宮崎滔天・頭山満……等です.
  3. 2018年バルト海沿岸諸国を旅したとき,日本人と分かると『ロシアをやっつけてくれてありがとう』と言われ,どれ位ロシアが嫌われているかを知りました.
1910年 日韓併合

清が自分の属国とみなしていた韓国を独立させ,門戸開放とロシアの防波堤にしたい日本の意見の不一致で日清戦争は起き,韓国を独立させたが,列強の間でふらふらとしてラチがあかないので,日本に併合した.

共に

1912年中華民国成立(辛亥革命・清朝滅亡)

実態は軍閥割拠の時代へ……

1914年〜1919年 第1次世界大戦

三国同盟(ドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・オスマン帝国)と三国協商(ロシア・イギリス・フランス)の戦争

日本は日英同盟の関係で,三国協商側に付き,中国のドイツ領に出兵

当初,米国は中立の立場をとり,双方に武器弾薬を見つけて巨万の利を得た.ドイツの潜水艦攻撃を受けて,1917年三国協商側に加担しました.


1917年のロシア革命によって,ロシアは戦争から離脱しました.

2-2-1. 第1次世界大戦後の日本の権益拡大

列強がヨーロッパ戦線に汲々としている間,日本は日英同盟に従い英国側に加担し.1919年には亜敵国ドイツ権益の山東省や,ドイツ領南洋諸島を占領しました.その結果,太平洋は日米の覇権争いの舞台となりました.

『米国の太平洋圈勢力拡大』

下記のように勢力を急拡大させていきました.

1865年 南北戦争終結 この時点から米国は巨大な国家として君臨
⇒日本の明治維新に相当する
1867年 アラスカとアリューシャン列島をロシアから買収
1867年 ミッドウエー諸島を発見,無人島だったので領有
1898年 ハワイ王国を米国の準州として併合
1898年 米西戦争に勝利し,フィリピン・グアムはカリブ海諸島と共にスペインから割譲,海洋国家スペインの利権を強奪した
1899年 サモア諸島東部を三国条約で獲得
『日本の太平洋勢力圏の拡大』

同時期日本も勢力を拡大していきました.

1868年 明治維新 近代化への第一歩 <米1965年南北戦争終結>
1895年 台湾割譲
1910年 韓国併合
1919年 第1次世界大戦の戦勝国として南洋諸島委託統治

列強(スペイン・ポルトガル・英・仏・蘭)に遅れて急成長し,スペインを倒して覇者として急成長した米国にとって,日本がどのように映ったか!は想像できる.

⇒第一次世界大戦後は米国は英国に謀り,日本をおだてて,ロシアの南下政策の盾にする日英同盟を破棄させ,新たに『ワシントン会議』で日本を縛る政策を打ち出してきた

2-2-2. 第1次世界大戦後のヨーロッパの変化
【A】共産主義政権の誕生

ロシア帝国が1917年ロシア革命を経て,1922年ソビエト社会主義連邦に変身し,世界で初めての『共産主義政権国家』が誕生したのでした.

ソ連はこの唯一の共産主義の自国を守る為,各国に社会主義の種を蒔き,革命を起こす人材を育成し,『労働者階級の解放』のために各国へ拡散させた.

【B】帝国は崩壊し,共和国として再出発した

ドイツ帝国⇒ドイツ共和国+ポーランドへ返還

オーストリア=ハンガリー帝国⇒オーストリア共和国+チェコソロバキア+ハンガリー+ユーゴスラビア

オスマン帝国⇒トルコ共和国+シリア+レバノン+パレスチナ

大戦後のヨーロッパはヴェルサイユ体制という

(ヨーロッパの帝国は解体され,大日本帝国のみが残った.)

【C】植民地解放運動の活発化

1905年日本がバルチック艦隊を壊滅させ,白人の巨大帝国ロシアに勝利したことが,列強の支配に苦しんでいた各植民地の民族活動家を強く刺激した.そして日本で学んだ孫文を始め中国の志士たちが1911年に『辛亥革命』を起こし,清朝を倒し,『中華民国』を建国します.その影響でますます『植民地からの独立』運動が盛んになり,各国の志士たちの一部が日本に集まってきました.

【D】国際連盟の誕生

AIの『Gemini』に問うと,以下の回答を得られました.

(1) 国際連盟誕生の経緯,その組織は,その成果は……

国際連盟は,第一次世界大戦の惨禍を二度と繰り返さないという強い願いから誕生した,史上初の本格的な国際平和維持機関です.その設立には,アメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領が提唱した「十四か条の平和原則」が大きな影響を与えました.


誕生の経緯

国際連盟は,第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約に基づいて,1920年にスイスのジュネーヴに本部を置いて設立されました.しかし,提唱国であるアメリカは,議会の孤立主義的な反対により加盟しませんでした.また,敗戦国であるドイツや革命後のソ連も当初は参加が認められませんでした.


組織

国際連盟は主に以下の3つの機関で構成されていました.

  • 総会: すべての加盟国が参加し,一国一票の原則で運営されました.重要な決定は全会一致が原則でした.

  • 理事会: 常任理事国と非常任理事国で構成され,国際紛争の解決などを担いました.常任理事国は,当初は日本,イギリス,フランス,イタリアの4か国でした.

  • 事務局: 連盟の日常業務を担う常設の事務機関です.事務次長には,日本の新渡戸稲造が就任し,国際的な信頼を得ました.

また,関連機関として常設国際司法裁判所や**国際労働機関(ILO)**も設置されました.


成果と限界

国際連盟は,いくつかの地域紛争を解決するなど一定の成果を上げましたが,その有効性には限界がありました.

  • 成果:

    地域的な紛争の仲裁(スウェーデンとフィンランド間のオーランド諸島問題など)

    • 国際協力の推進(経済,社会,文化,人道分野)

  • 限界:

    大国の不参加: アメリカが不参加だったことは,連盟の権威を著しく低下させました.

    全会一致の原則: 重要な決定に全会一致を求めるため,迅速な対応が困難でした.

    軍事制裁の欠如: 紛争を解決するための有効な軍事力がなく,経済制裁も強制力が弱かったため,大国の侵略行為を防ぐことができませんでした.

これらの限界は,1930年代の満州事変における日本の行動や,イタリアのエチオピア侵攻など,列強の侵略行為を阻止できなかったことで露呈しました.そして,第二次世界大戦の勃発によってその機能は完全に停止し,戦後に**国際連合(UN)**へと引き継がれ,1946年に正式に解散しました.

(2) 国際連盟における日本の立ち位置と活躍

日本は常任理事国として 人種差別撤退宣言を提案した


国際連盟で常任理事国として人種差別撤退宣言を発するように動いた

日本の人種差別撤廃提案は,国際連盟の設立を議論していた1919年のパリ講和会議で,全権代表の牧野伸顕が中心となり行われました.これは,国際連盟規約に「人種あるいは国籍如何により法律上あるいは事実上何ら差別を設けない」という条項を盛り込もうとするものでした.


提案の背景

第一次世界大戦で勝利した日本は,パリ講和会議で主要戦勝国の一員として参加しました.当時,日本は欧米列強と肩を並べる存在として国際的な地位を確立しつつありましたが,一方でアメリカやカナダなどでは日本人移民に対する排斥問題が深刻化していました.この提案は,こうした差別をなくし,国際社会での日本の地位を確固たるものにしようとするものでした.


提案の経過と結果

  • 各国の反応: 提案は多くの国から支持を得ましたが,特にアメリカとイギリスが強く反対しました.アメリカは国内に深刻な人種問題を抱えており,イギリスは植民地での支配に影響が出ることを懸念したためです.

  • 最終的な結果: 提案は賛成多数で採択されましたが,議長を務めたアメリカのウィルソン大統領が「全会一致でないため不成立」と一方的に宣言し,最終的に国際連盟規約への記載は見送られました.

この提案は実現しませんでしたが,国際社会において人種平等を明確に主張した最初の試みとして,歴史的に重要な意義を持ちました.

2-2-3. 1929年世界大恐慌が始まる

第1次世界大戦は,戦場にならなかった米国が,戦場になってしまい武器弾薬を作れなくなった欧州に向けて輸出することで莫大な利益を得ました.その有り余る資金が,時代の先端である自動車,航空機……等に投資され,それが新たな富および,米国は未曾有のこうけいきが続き,世界経済の中心が欧州からアメリカへ移った時でもありました.

米国と同様に戦場にならなかった日本も戦争特需でわき,好景気に恵まれました.

大正デモクラシーやモダンガールはこの頃の事でした.


1929年10月,ニューヨーク証券取引所の株価大暴落は,瞬く間に全世界に広がり『世界大恐慌』となりました.

生産設備が拡大され,『もの』は有り余っているのに買ってくれる人がいない!

買ってくれなければ,お金が入らない!

お金が入らなければ給料は払えない!

給料がもらえなければものが買えない!

この負の連鎖が始まってしまったのでした.


短絡的に考えますとこの大不況を打ち上がるには,軍備拡張し軍需産業を興す!

他国に侵入し新しい市場を開拓する……というのが誰もが考える事です.

ドイツはナチスが台頭し,34年ヒットラーが総統に,再軍備推進

イタリアはファシスタ党結成,エチオピアを併合

日本は軍部の台頭,満州国建設

その結末は,冒頭部分でご紹介したYouTubeの動画のとおりです.

大恐慌と対峙したルーズベルト大統領

アメリカにおいては1933年に当選したルーズベルト大統領が展開したニューディール政策によって,大恐慌の解決が図られたどうされていますが,その真偽の程を『Gemini』に確かめますと,以下の回答を得ました.

ニューディール政策の評価

ニューディール政策は,アメリカ経済を完全に回復させたわけではなく,第二次世界大戦による特需によって最終的に恐慌から脱出したという見方が一般的です.しかし,政府の役割を拡大させ,資本主義のあり方を大きく変革したという点で,歴史的に非常に重要な意味を持っています…….

この回答に力を得て,今までにこの部分を獲得した『太平洋戦争の隠れた面』をご紹介したいと思います.読者諸兄におかれましては,ご自身で再度お確かめください.

ルーズベルト大統領は1941年の太平洋における行き詰った状況を打開するためには,米国本国から遠く離れた西太平洋で,日本を叩くしかないと決意した.

  1. 日本の囲むABCD包囲網を作り,石油・アルミ・ゴム等の資源を枯渇させるそうすれば,宣戦布告してくるだろう.

  2. 日本が攻めてくるとすれば真珠湾であろう.古くて使い物にならない軍艦を真珠湾に集めておき,湾の水深が浅いので,必要な艦船だけ回収して修理すればよい.貴重な空母と航空機は洋上で待機させておけば良い.

  3. 奇襲を受けたとなれば米国世論は一丸となって打倒日本になり,多額の予算が付き,軍備増強と,不況からの脱出ができる…….

  4. 日本軍はまんまとこの罠にはまりました.しかも以下のようなおまけ付きで……

    1. 直前に宣戦布告してからの奇襲攻撃の予定が,暗号解読に時間が掛かり,大使館から米国政府への通達が,攻撃の後になってしまった.

      その結果『日本は卑怯者』というレッテルを米国政府に付けられる,米国民は一丸となって怒りに震える結果になった.

    2. 第2,第3波の攻撃で,燃料タンク,武器庫など全てが破壊される覚悟でいたが港内に空母がいないことで,日本空母艦隊は米国の空襲を恐れ第1波攻撃だけで引き返した.

  5. 攻撃を受けた後の真珠湾では,一番古い『戦艦アリゾナ』を日本軍の真珠湾奇襲における記念碑として保存した.

    YouTubeはアリゾナ記念館(USS Arizona Memorial): 真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナの上に建てられた,最も有名な記念館です.犠牲となった多くの乗組員が今も船体の中に眠っており,慰霊の場所となっています.ボートでしか行くことができず,事前予約が必要です.沈没した戦艦の甲板を見下ろすことができます.


  6. 沈没した最新鋭の戦艦ミズーリは,直ちに引き揚げ,修理して前線復帰させ,太平洋戦線で大活躍し,1945年9月2日の日本の連合軍に対する無条件降伏の調印は,この戦艦ミズーリ艦上で重光外務大臣にやらせたのでした.

    ミズーリ記念館


  7. 東京裁判

    裁判の中味は下記YouTubeを参照


    裁判の開始が4月29日 ……………………(昭和天皇の誕生日)

    A級戦犯の処刑日が12月23日…………(上皇陛下の誕生日)

    偶然の一致???

    パール判事の日本無罪論

    パール判事はインドから馳せ参じた『東京裁判15人の判事』の一人.

    ただひとり無罪を主張した人である.

    訳者 田中正明は,筆者の叔父です.

筆者の8月への思いというタイトルで書き始めましたが次々とこみ上げてくるものがありまして思わずなくなってしまいました.

読者諸兄も太平洋戦争について少しでも多くのことを確認していただき,来年の8月はもっと深い思いを持って終戦記念日を迎えていただきたいと思います.


2025年9月13日
(株)Jコスト研究所 代表 田中正知



2025年6月

所長 季節のご挨拶

6月に入り,梅雨が始まるや否や猛烈な暑さが襲いました.

皆様いかがお過ごしでしょうか.

テレビでは朝から熱中症対策についての注意を放送し,特に注意すべきは,幼い子供たちで,身長が低いため,路面からの輻射熱を全身受けることになるので熱中症になり易いとのこと,また高齢者は,知覚が鈍くなり易く,暑いという事や,口が渇いた事に鈍感で,熱中症にかかり易いとしつっこく放送しています.

高齢者で,高血糖の筆者は,キンキンに冷やした緑茶とスポーツドリンクで対応しています.

皆さまも,御自分に合わせた水分補給得で,この酷暑を乗り切ってください.

さて,海外に目をやりますと,2025年6月は,世界史の教科書に載るような大きな出来事がありました.その主な出来事と,日本に及ぼす影響を,弊社なりに占ってみたいと思います.

(1) 韓国は『反日』の『李在明』が大統領に就任した.

韓国は1997年通貨危機に陥り,当時はまだ発展途上国であるとして先進諸国からの援助の手が差し伸べられ,危機を脱出しました.その後,奇跡的な発展を遂げたとして,自他共に認める地位を確保しつつ在りました.

当時の経済の専門家たちは,今韓国が中国に売りさばいている製品は,工業の発展とともに中国の方が韓国よりも安くできるようになる.日本と協力して全世界に打って出る体制を構築すべきと提案していました.

文大統領は,『反日』『親北朝鮮』『親中国』に舵を取り,経済専門家の言うとおりになってしまい,その上内政政策の失敗も相まって,韓国の現在の国の借金,企業の借金,個人の借金の三重苦を作ってしまったと言われています.それは,1997年の通貨危機よりもひどい状態になるのではないかと危惧されています.

ちなみに現在日本は台湾とタッグを組み,熊本に巨大な半導体工場を作り世界に打って出る準備をしております.

いよいよ日本と中国に挟まれてきた状況の中で,前期の尹大統領は,今までの日韓関係を精算して日本との関係修復に舵を切り,更なる連携の道を探っていましたが,『反日』を主張する『共に民主党』の強烈な反対運動の前に敗れ,弾劾裁判にまで及びました.

この6月の大統領選で当選したのは,『反日運動』の権化とも言うべき,李在明大統領なのでした.彼が韓国をどう導いていくか,注目が必要です.

因みに,韓国の『反日運動』を一目で理解するには,YouTubeで『韓国ウリカルト図表』と検索すれば,世界中があきれる実態が映し出されます.
その一例等は,おとなしい説明で,お薦めします.

(2) 中国が起点の,世界大恐慌の引き金になる恐れあり

筆者の体験談からお話ししましょう.

2013年から上海にあるコンサル会社と契約し,蘇州,杭州,河南省等で年間10回ほど講演やコンサルティングをやってきましたが,当時は訪問するたびに街の形が変わるほど急激な発展をしておりました.

一応五つ星ホテルに宿泊していましたが,日本との違いはどのホテルも部屋がやたらと広いこと,防毒マスクとコンドームとカップ麺が必ず設置されていることに文化の違いを覚えました.

テレビ番組は約60チャンネルあり,CNN,ABC,NHKは自由に見えました.インターネットもGoogle以外は自由に使えた覚えがあります.

2020年からは中国訪問はコロナで中断し,2024年に久しぶりに訪れた上海は,様子が変わっておりました.

人でごった返していた浦東机場の入国審査場は,すいすいと通過でき,交通量が減っているのを実感しました.テレビ番組は,中国語のみになってしまい,何がどうなってるかよくわかりませんが,スイッチを押すと『政府のお知らせ』『教育番組』『バラエティー・ドラマ』のサムネイルが画面に出てそこから選ぶSystemになっていました.

何よりも驚いたことに,各ホテルでWi-Fiにつなぐことができましたが,外国人がインターネットにつなぐためには当局の許可書がいる様に変わってしまっていました.

結局,日本で契約していったスマホの『海外ネット契約』だけが頼りでした.

中国の政治・経済はマスコミ報道では,2019年からの香港への統制強化,コロナ禍に於ける上海の強制ロックダウン,経済活動に大ダメージ,市民生活の困窮,不動産バブル崩壊・・・.海外資本の引き上げ・・・.等が報じられていますが,筆者の経験から見れば,中国という国は,2019年という年を境にして全く違った国になってしまった,と断言できます.

共産主義政権の寿命という考えでまとめてみますと,以下のようになります.

  • ソ連は1920年〜1990年の70年間

  • 東ヨーロッパ諸国は1945年〜1990年の45年間
  • 中国は1949年〜で75年目
  • 改革開放政策1980〜2018は共産主義では無かったとすれば37年目

最近行われた農耕地拡張運動は,毛沢東が犯した誤りと同じことを繰り返すように思えます.中国のあれだけの大きな組織を一党独裁体制でコントロールできるとはとても思えません.近いうちに何らかの形で政治体制に大変化が起きると覚悟しておいた方が良いでしょう.

(3) ロシア崩壊の危機

2022年2月24日から始まったロシアによるウクライナ侵攻は,膨大な戦力を背景にロシアの圧倒的勝利と思われましたが,ウクライナの不屈の反抗で持ちこたえておりました.

2025年6月,ウクライナが独自に開発した各種のドローンと,巧みな作戦によりロシア本土の燃料施設や軍事施設に攻撃を仕掛け,大きな戦果を上げています.

ロシア国民にとってみれば,ウクライナ侵攻は外地の出来事だったものが,ロシア本土の要所要所を攻撃され,しかも市中金利が20%を超えるようになり,物資の不足し生活が困窮してきました.

ロシア庶民の困窮ぶりは,1980年後半のソビエト連邦に似ているので,このまま行ったらロシア連邦が解体されるのでは……という憶測が流れています.

(4) G7 Summit の出来事 米国孤立???

6月15日から17日まで,カナダのアルバータ州で開かれたG7 Summitは,米国のトランプ大統領はイラン問題があるとして初日だけで帰ってしまいました.

YouTube上では,米国抜きの商取引の約束事が話し合われたとされています.

マスコミの裏を取れていませんが,度量衡の世界で,米国のみがヤードポンド法で他国はすべてメートル法になっています.そんな中で国際技術標準がヤードポンド法で書かれているとすれば大きな矛盾です.

通貨も,現在のような高度に発達した通信社会では,為替市場と連動して互いの通貨で決済すれば,国際通貨としてのドルはなくても商取引は可能なはずです.

『お前のセリフが気に入らないから明日から関税を20%上げる……』ような国とまともなビジネスはできません.グローバルな企業と自認する会社は,そんな国と関わりたくなるはずです.関わりたくなければ本社を移してしまえばいいわけです.

例えばアマゾンにとってみれば,世界から品物を仕入れて世界中に売るわけです.その物流のハブをアメリカ本土に置けば,輸入品に全部関税をかけられてしまいます.

アメリカ以外のところにハブおけば,アメリカに売る分だけ関税がかかることになりますから,当然アメリカから出てきます.

トランプ大統領の輸入関税の駆け引きを見ていると,自分の体に刃物を押し当てて,自分の言うことを聞いてくれないと自分の体に傷をつけると言っていることに等しい行いです.

関係者は血を見るのが嫌なのでご機嫌とっていますが,度が過ぎれば『お好きにどうぞ』と言えばいいだけです.関税が完全上がって困るのは米国民です.トランプ大統領が言うような10% 20%の高関税で自国民が生活できるはずがないのです.

さらに言えば,米国民にとってみれば輸入品全部ですが,輸出側にとってみれば,全世界に輸出しますから米国向けはほんの数10%にすぎません.

賢いネゴシエーターは,相手がくたびれるのでじっくり時間をかけて話をするでしょう.

日本の赤澤大臣は,ニコニコしながらじっと時間を待つ作戦に出ています.最高の策だと思います.

裏は取れていませんが,トランプが帰った後のG6 Summitでどうやってアメリカを外して世界を回して行くかが話し合われたものと私は信じます.

つまり,2025年6月を以て,ヒノキ舞台の上にアメリカはいるけれど,誰もアメリカにまともに話しかける人はいない時代が始まったと思います.

(5) アメリカのイラン爆撃

2025年6月22日イランの核施設を米国のステルス爆撃機がバンカーバスター弾を投下しました.『これは広島に原爆を落として太平洋戦争を終わらせたと同じで,必要な選択だった』と語ったそうです.この言葉は日本では物議を醸しました.

元はといえば,イランとの間に核拡散防止条約を結んであったのを,前期のトランプ大統領が不十分であるとして廃棄し,それにイランが反発してウランの濃縮を始めた経緯があります.核を持つ常任理事国の大統領プーチンが,突然ウクライナに侵攻した事と同じ事を,核を持った常任理事国の大統領のトランプがやったということは,プーチンにウクライナ侵攻をやめろという資格がなくなってしまったことを意味します.

まとめ

所長挨拶として2025年6月に起きた大きな出来事を取り上げました.

言い方を変えれば@ロシアのプーチン大統領,A中国の習近平主席,Bアメリカのトランプ大統領の率いる大国が,老人の妄想により全世界をとんでもない危険な状態に陥れている事と,隣国の韓国が経済破綻の崖っぷちにありながら,反日を唱える一方で協力を求めてきている事を紹介しました.

7月以降どのような展開になるのか分かりませんが,リーマンショックをはるかに超える大不況が全世界を襲う可能性が極めて大きいとされています.これに備えての対策に邁進して頂きたく思います.先月申し上げた『人を減らすな!在庫を減らせ!』『省人化ではなく少人化を』等を参考にしていただければ幸いです.

『日米貿易戦争とトヨタの対応』

以下,前回に引き続き『日米貿易戦争とトヨタの対応』についてお話しします.

筆者は1995〜1996年の2年間トヨタの物流管理部長の職におりました.

1995年春,渡米して,GMとの合弁会社NUMMIを視察しました.すると,売れていると言うトヨタブランドのC車の完成車Yardは満タンでした.ところが,売れていないというGMブランドのP車の完成車Yardは空でした.

売れている方の工場在庫が少なく,売れてない方の工場在庫が多いというのが常識ですが,NUMMI では,それが正反対だったのです.現地駐在員に,実態を調べて報告するように厳命をし,帰国しました.

半年後に調査結果が届き愕然としました.内容は以下の通りです.

【A】米国 BIG 3の生産のOrder-to-Delivery-Lead-Time

米国のBIG3は,週次生産・週次決済が基本で,N週の売れ行きを見て,(N+2)週の生産計画を立てて(N+1)週に部品の手配をし,(N+2)週に工場で生産し,(N+3)週中には全米に配送完というLead-Timeでした.(駐在員の報告では,実態はもっと時間が掛かっている……とのことでした)

米国デーラーは在庫販売方式ですから客から見たOrder-to-Delivery-Lead-Timeは,以下のようになります.

  1. 売れ筋; デーラー在庫(デーラー籍),客; 即納
  2. 人気車; 各州のセンター在庫(Maker籍),客; 数日後
    Makerは週次補充
  3. 特注車; 受注生産(在庫無し),客; 3〜4週後
    ちなみにメーカーの部品+車両のLead-Time(理論値)3週間
【B】日本メーカーが完成車輸出した時のOrder-to-Delivery-Lead-Time

日本メーカートヨタ・日産・ホンダの3社は,ロスのTorranceに本社を構えており,窓から互いの会社の看板が見える状態でした.3社とも,月次生産・月次決済を採用しており日本生産車はM月中旬に日本の生産管理部で(M+1)月の全世界向けの生産計画を決め,部品の手配をします.(M+1)月の十数本の生産ラインで全世界向けの車両の生産が行われ,次々と輸出先別埠頭に運ばれ輸出手続きを済ませます.

当時の自動車運搬船は乗用車換算で4000台積載できましたが,税関が輸出用保税Yardに4,000台揃った時点ででしか輸出用書類の受理をしてもらえなかったのでLead-Timeの大きなロスとなっていました.

船便は日本出港から米国港での荷揚げまで,西海岸で2週間,東海岸まで3週間掛かりました.

一口で言えば,(M+2)月に米国揚げ港に到着となります.

つまり,日本車は,揚げ港に膨大なMotorプール在庫を抱えての在庫販売になります.

米国の客から見れば店頭在庫販売ですから,Order-to-Delivery-Lead-Timeは

  1. 売れ筋; デーラー在庫(デーラー籍),客; 即納
  2. 人気車; 各州のセンター在庫(Maker籍),客; 数日後
    Makerは揚げ港在庫から週次補充
  3. 特注車; 受注生産(在庫無し)
    日本に発注するので(M+2)月後,客; 10〜14週後
    ちなみにメーカーの部品 + 車両のLead-Time(理論値)10週間
【C】当時の米国での日本メーカー 米国現地生産車

日本の生産管理部で,日本で全世界向け完成車生産をするのと同じようにM月に(M+1)月用の『部品輸出計画』を立て,Supplierに日々の個々の部品の納品指示をします.

(M+1)月になると,各Supplierから納品された部品を計画に基づいてコンテナにバンニングして米国へ輸出します.日本側でバンニングしてから,現地組立工場でデバンニング(開梱)するまで海上コンテナで約一ヶ月掛かりますから,M月に生産計画を立てた車両用の部品が全部米国の組立工場に届くには(M+2)月になっています.

結局,M月に日本の生産管理部が計画した生産計画で,現地米国で全て完成車にするには,何と,(M+3)月末になってしまっていたのでした.

これを米国の客から見れば,店頭在庫販売方式ですから

  1. 売れ筋; デーラー在庫(デーラー籍),客; 即納
  2. 人気車; 各州のセンター在庫(Maker籍),客; 数日後
    Maker各センターに補充
  3. 特注車; 受注生産(在庫無し)
    日本に発注し,届いた部品で製造するので(M+3)月後
    客; 14〜20週後
    ちなみにメーカーの部品 + 車両のLead-Time(理論値)約14週間
【D】当時のトヨタと国内販売店間のOrder-to-Delivery-Lead-Timeについて

トヨタと各販売店の間で年間の車名別販売台数を契約する.(ファーム制度)

販売店は,お客様と車の仕様の細部(色・タイヤ・オプション等々約20項目)を詰め,トヨタに最終注文すると,3日後その通りの仕様の車がライン・オフします.販売店はフレームナンバーと車庫証明を持って当局に届けてライセンスプレートをもらいます.ほぼ同じ頃車両が店頭に届きます.販売店は車両を磨き上げ,細部のオプションを取り付け,認可されてライセンスプレートを取り付け,納車します.これを米国販売店と同じ様に整理すると

  1. 売れ筋; デーラー店頭,客; 所有権移転手続き3日後
  2. 人気車; デーラー内のセンター在庫,客; 約4日後
  3. 特注車; 受注生産,トヨタ生産3日 + 店頭までの輸送 7日
    ちなみにメーカーの部品 + 車両のLead-Time(理論値)1週間
    註: トヨタの国内完成車は全てデーラー籍

更に,車両組み立て工場で使う部品は,在庫補充方式を使い4時間間隔でサプライヤーから納入されています.その結果組み立て工場内の棚卸資産回転数は一日以下となっています.

半年後に米国から報告されたこの状態調査結果について,全く驚きでした.

調査結果を受けての物流管理部としての判断

(1) 客の立場で見たOrder-to-Delivery-Lead-Timeについて

米国産車も日本車も、米国の販売方式すなわち巨大な店舗での在庫販売の下では、Order-to-Delivery-Lead-Time 店頭で買い取り所有するまでの時間は、人気車では互角の戦いが出来ている。客のこだわりを入れた特別仕様車では、
米国産車;3〜4週後 < 日本産日本車;10〜14週 < 米国産日本車;14〜20週
と理論的には大差がありましたが、トヨタの販売部門の見解で、実態は下記のような理由で販売店と客との間でいわゆる『Deal』があり、当時の時点でわ特別仕様車のリードタイムを短縮する課題は優先順位が低いとの事でした。

販売店の店頭在庫というのは,モータリゼーションの進んだ米国では色やグレード等々,Userの好みが多岐にわたっていますので,そう簡単にフィットするものではありません.店主が選んだ品揃えでも、半年間売れずにいるという車もざらにあります.このため販売店は,多少値引きしても店頭にあるクルマを客とDealして売り込んでしまいます.

現地の実態調査のLead-Timeというのは、あくまでも理論値であって、店頭に訪れた客にヒットさせるために、販売店はリスク冒してできるだけ多くの在庫を持ち営業しています。その実態を是認すれば、当時の日本車の販売店は米国車の販売店と互角に戦っていたと判断できました。

一番の問題点は,市場が冷えて販売台数が減少してきた時に,どのタイミングでブレーキをかけるかということです.米国内で生産する日本車については,ブレーキがかかるのは3ヶ月後ですから,現地の需要を100%現地生産車で補うことは,売れない車を大量に抱え込むというリスクもありますので,当面は米国内での完成車生産は腹8分目か7分目で納めておき,残りは日本から完成車を輸出するという作戦を改めて確認しました.

ここまでは製造会社の市場応答性という観点で話をしてきましたが、物流部門として改善しなければならないテーマとして、工場の生産ラインの出口から、米国販売店までの完成車在庫(トヨタの棚卸資産)をいかに圧縮するかにありました。

ここから話は脇道に逸れますが、通関業務の実態を知っていただくために当時やった改善事例を紹介します。

当時は保税ヤードに完成車を約4,000台ずつまとめて置き、夫々を船便に引き当てて総局に輸出許可を頂いていました。完成車から見ますと、到着してから数便待って船に乗る状態でした。

一般貨物と違い乗用車は、それぞれフレームナンバーを持っており、工場でラインしてから船に積むまで一本道になっています。ラインをした時点で仕向地が決まっているので。その情報を元にして通関手続きをすれば、船上通関(船に乗せてから通関手続きをする)ことが可能であるとして、あの手この手で当局に訴えました。

当局はなかなか首を縦に振りませんでしたが、後輩たちに後を託して私は定年退職しました。退職して数年後、部下から念願の『船上通関』が許可されたとの通報を受け取りました。これで、運搬船数隻分の在庫を削減出来たのでした。

2008年リーマンショックがあり、世界中が大不況になりましたが、ホンダと日産は、米国市場での販売状況がおかしいとして、4月以降企業トップから減産命令が出されたと言われています。ところが『Just In Time』を表看板とするトヨタが、減産をすることなしにリーマンショックに突っ込みました。その結果膨大な在庫を抱えてしまい、その処理のために数年間、赤字が続きました。

大野耐一の直弟子として張富士夫、池渕浩介、林南八の3名が『トヨタ生産方式』の『技監』と言う地位にあった時の出来事でした。

『トヨタショック』を機に、豊田家の御曹司 豊田章男が社長に着任しました。

彼は『トヨタ生産方式の原点復帰』をスローガンに、社内を大改革し、今日に至るのでした。この辺の詳細は別途『TOYOTAとNISSANの歴史をJコスト論で斬る』コラムで紹介いたします。

(2) トヨタとSupplierの関係

日米の貿易摩擦の解消のためには『部品をあくまでも米国内で生産しろ!』ということになります.ここで日本企業のカーメーカーとサプライヤーとの関係が欧米とは違っていることを再確認する必要があります.

以前にドイツでは,技術部門が車両の完全なる設計図を完成させ,生産技術部門は設計図通りの車両を生産する設計を準備し。製造部門はその設計図どおりの車両を製造すると言う完全分業になっている話をしました.

この完全分業が出来ていれば,部品の品質は設計図でしっかり保証されており,あとは価格交渉で安いところに発注すればよいという考えになります.

それ故,欧米の自動車は水平分業になっており,世界各地のサプライヤーからコスト最優先で部品を集め完成車にする方策が取られております.

米国のビッグスリーもこの法則に従っており,単価の安さを基準に多くの構成部品を海外メーカーから購入しているのです.

これに対してトヨタは全く異なった考え方をしております.

組織の壁を取り払い,コンカレントエンジニアリングという考え方で,開発段階から生産技術や製造現場さらには部品メーカーが入り込み,例えばデザインが決めたヘッドランプの形状の中で,ランプの熱をどう逃がし,隣り合う部品との見栄えをどう向上させるか.関係する車両メーカー,部品メーカーが同時並行に設計おすすめ,そこにそれぞれの製造現場が入り込み,御客様に愛される車づくりを目指してとことんすり合わせをしているわけです.

図面にかけないノウハウで細部を取り決めているのです.

こういうやり方で設計しているので,一緒に開発した仲間以外に部品を発注するという発想は浮かんできません.

先に述べた1995年の頃は,トヨタ系のサプライヤーがまだ充分北米に進出していなかった時代でしたが,その後に,以前述べたように,米国政府の圧力で無理やり米国のサプライヤーから部品を輸入させられることになりました.不良率が高い米国のサプライヤーから物を買うぐらいだったら,日本でお付き合いしているもともとのサプライヤーに米国に進出していただき,現地で生産することにして【D】で書いたような,日本国内のサプライチェーンと同じもの北米に作るのがベストであると誰もが考えるようになりました.

2011年の東日本大震災は,日本からの部品が届かず、2011年4月〜6月に掛けて生産量を半減させたと言います。日本で震災があれば,北米でも生産ができなくなるというのはまずいと誰もが思うでしょう.トヨタが日本を3分割し,どこで大災害が発生してもできれば2/3最低限1/3の生産量は確保できるようにしましたが,これは海外でも同じことで,ヨーロッパ,中国,東南アジア,北米は単独で車両生産ができるような体制を作る方向に舵を切ったのでした.

ただ自動車生産の宿命として新車発売時のピークを100とすると,モデル末期には20〜30まで落ちてしまいます.それゆえ定常状態では市場の販売数の70から80%で稼働させておき,それに対するそれぞれの地区におけるプラス・マイナスは,日本を胴元とし,各地区の乗用車を横持ちすることにより,工場の稼働率を維持し,雇用の安定化を図る政策をとっています.

トランプ関税のニュースで,日系自動車メーカーの現地工場の生産比率が市場の70〜80%とあったのは,生産量を安定させ要員の異動をなくすための方策であったのです.

話がダラダラと長くなってしまいましたが,世界のどこで戦争や大災害が起きても全体を止めずに済むように,地域分散型の生産体制を日本のメーカーはとってきました.

それゆえ,完成車25%の追加関税.自動車部品にも25%の追加関税を課したとしても,日本メーカーは北米における主要車種の生産は北米だけで賄えるようにしてあるので,ある生産台数までは全くトランプ関税の影響なしに生産できるようになっています.

特にトヨタは章男会長の下で体制整備を進めてきましたし,米国民がガソリン代を気にするような世の中になってきますから,優秀なハイブリッド車を持つトヨタとホンダが飛び抜けて有利な状況に置かれると思っています.

読者諸氏も安心して見守っていてください.

またもや季節の挨拶が長くなり過ぎましたので,『TOYOTAとNISSANの歴史をJコスト論で斬る』は今月もお休みさせていただきます.


2025年6月30日
(株)Jコスト研究所 代表 田中正知



2025年5月

所長 季節のご挨拶

我が家の猫の額ほどの我が家の畑に,連休前に植えたトマトは既に膝の高さになり,今年は脇芽の管理をして,長く楽しむつもりです.散歩道の街路樹の桜は新緑に燃え,素晴らしい景色です.

日本は穏やかな初夏を迎えていますが,皆さまは如何御活躍でしょうか.


世界に目をやりますと,隣の韓国では,前政権で高騰した不動産バブルが弾け始め,結果として,家庭債務が急膨張し,その中で頼りのサムスンの売上減が続き・・・不穏な気配とか・・・・中国は,膨大な不動産バブルが弾けだし,消費低迷⇒企業倒産⇒首切り⇒消費低迷の負のスパイラルが回り始めたとか・・・

その中国を相手に改革開放政策でしっかりと儲けていたドイツが,中国の不況でダメージを受け,更に,自動車のEV化で活路を見いだすはずが,より高性能のEVをより安く売り出した中国BYDに後れを取り,大きなダメージを受けています.


そして米国,国内企業との綿密な打ち合わせをしないままに高額な輸入関税を宣言したものですから,世界を股にかけて活動していた大手の米国企業がサプライチェーンの分断という大きな代償を払うことになり,GMFordなどの乗用車メーカーのみならずトラックメーカーまでが工場の海外移転を決断するに至りました.さらに広がり,Amazonや,米国の防衛産業担うBoeingまでが,工場を海外に移すという話までが持ち上がりました.

これから先トランプ大統領がどう決着を作るかわかりませんが,実業界が実際に動き始めてしまいましたから,大きな傷跡を残すことと思います.

評論家によってはリーマンショック以上の衝撃が全世界に走ると言っています.現に米国の主要企業は人員の解雇を始めました.

急速に業績を悪化させた日産は,全世界で2万人規模の人員整理をして立て直しを図るということを発表しました.パナソニックも1万人規模の人員整理をし,業績の立て直しを図ると公表しております.これらはトランプ課税による悪影響に備えての動きであると見ることもできます.

貴社はどのような対応をなさるのでしょうか?

[1] 弊社おすすめの対策『人を減らすな!在庫を減らせ!』の解説

不況に差し掛かった時,弊社の『本流トヨタ方式』では『人を減らすな!在庫を減らせ!』を邁進することをお薦めしております.

実例を申し上げますと,2020年から始まったコロナ禍の売上減対策には以下の二通りの対応策が在りました.

【A】多くの企業は『人員整理』を行い,売上減少を乗り越えてきました.

【B】一部の企業は『人員整理』は行わず,仕入れ代金の縮小で乗り越えました.

コロナが過ぎ去って,市場が生き返ってきたとき,

  • 【B】の社員を温存した企業は即増産に移り,業績を急膨張させました.
  • 【A】の『人員整理』をした企業は,募集しても人手は集まらず,業績回復が思うように行ってない・・・

と聞いています.つまり【B】は『危機』『機会』に変えたともいえます.どんな方策を取れば,【B】の道を辿れるのか,考えてみましょう.

[1-1] 固定費と変動費を考え直す

以下にお話する事は,筆者が入社した頃(1967年)人事部における入社教育,作業実習に行った先の管理者はもちろんのこと,実習でお世話になった現場の監督者から再三再四言われ続けたことです.

それは1950年当時のトヨタが,終戦後の超インフレと,それを収めるための超デフレ政策(ドッジライン)によって,経理上は黒字だったが資金繰りに詰まり,銀行の追加融資がなければ倒産するという危機に陥ったこと.

この時の社長は,豊田佐吉の長男で,トヨタ自動車を作り上げた豐田喜一郎だった事.彼は『豊田要綱』にある『一,温情友愛の精神を発揮し,家庭的美風を作興すべし』を楯にとって,断固人員削減には反対した事.

銀行団との交渉がもつれ,最終的には,先ず創業者の喜一郎社長が引責辞任し,その後,社員の人員整理を行うことで解決した事でした.

そして,これが『人員整理する前に,社長が引責辞任をする』と言うトヨタの不文律ができたことでした.

作業実習中の休憩時間に,現場の組長が隣に座り『あんたは大学出だから,出世してえらいさんになるだろう.だからこれだけは覚えておいて欲しい.仲間の首を切るような会社にするな…』と話してくれました.

1950年の危機のあとを継いだ石田退三社長以下現場の末端まで,『人員整理』をせずに済む会社にするには,どうすれば良いのか考え,工夫をし,実践してきたのが『トヨタ生産方式』だったのです.

詳しい話は別途『TOYOTAとNISSANの歴史をJコスト論で斬る』シリーズでお伝えいたしますが,世の中が不況になり自社の製品が売れなくなった時,現場はどのようにして耐え忍び,力を蓄えておき,好況になったときそれを爆発させて成長につなげるか・・・についてここではご説明いたします.

1-1-1. 『減価償却費』は本当に固定費か

会計学では,『減価償却費は固定費であり,労務費は変動費』であると教えます.

これに異を唱えたのが,トヨタ生産方式で有名な大野耐一でした.

例えば,プレス型の減価償却を考えてみましょう.ただ置いてあるだけなら摩耗しませんが,生産すれば1回当たり何がしか摩耗を生じ,ある回数を使えば使えなくなるので,どう考えてもプレス型の減価償却費は変動費のはずだと言うものです.

一方従業員は,会社に出てきて仕事をしていても,仕事がなくても腹は減る.生きていくためには毎日食わねばならない.だから労務費は固定費のハズだ!と主張したのでした.

ネットで調べると,家屋などの減価償却費は固定費と決められていますが,プレス型のように,使う回数で摩耗していく機材の減価償却費は,所轄の税務署長の判断で決められるとありました.

経済の専門家たちは,今年の後半からトランプ関税影響で,リーマンショック以上の大不況がきてもおかしくないと警報を鳴らしています.減産時に備えて,固定費を減らし『損益分岐点』を下げておく必要があります.

1-1-2. 省人化と少人化

10人で1時間当たり60個生産していたラインに,自動機を導入して9人でできるようにいたとします.

【改善前】
\begin{equation} (材料) \Rightarrow \unicode{x2460} \Rightarrow \unicode{x2461} \Rightarrow \unicode{x2462} \Rightarrow \unicode{x2463} \Rightarrow \unicode{x2464} \Rightarrow \unicode{x2465} \Rightarrow \unicode{x2466} \Rightarrow \unicode{x2467} \Rightarrow \unicode{x2468} \Rightarrow \unicode{x2469} \Rightarrow (完成品) \tag{1} \end{equation}

10人作業; 60個/h (時間) の組み立てライン

【省人化改善後】
\begin{equation} (材料) \Rightarrow \unicode{x2460} \Rightarrow \unicode{x2461} \Rightarrow \unicode{x2462} \Rightarrow \unicode{x2463} \Rightarrow (自動機) \Rightarrow \unicode{x2465} \Rightarrow \unicode{x2466} \Rightarrow \unicode{x2467} \Rightarrow \unicode{x2468} \Rightarrow \unicode{x2469} \Rightarrow (完成品) \tag{2} \end{equation}

D工程に完全自動機を導入し,9人作業で60個/hを達成できたとします.

このように作業を自動機の置き換え人手を減らすのを省人化と称して多くの企業では無条件に進めていますが,ここには大きな落とし穴があります.

生産のflexibilityが失われることで,減産時は返って生産性が落ちるのです.

実際に売れなくなって時間当たりの生産台数が減少した場合を計算しましょう.

  • 前工程 60個≧4人,45個≧3人,30個≧2人,……
  • 後工程 60個≧5人,48個≧4人,36個≧3人,……

となってしまいます.

【少人化 改善】

トヨタ生産方式では,『少人化』という改善をお勧めします.これは市場の変化に追従して行く為に,常に生産数に比例した要員数で運営できるように改善することを意味します.flexibilityです.設備の制約をなくし,作業員を多技能化しなくてはなりません.

『少人化』されたラインでは,今の例で言えば,

  • 60個≧10人,54個≧9人,48個≧8人,42個≧7人,……

となります.このように10%の減産で,省人化に掛けた費用は無駄になり,さらに減産が進めば,自動機がネックとなった少人化ができず逆に生産性を落とすことになってしまいます.トヨタ生産方式では,『省人化』の完全自動化工程はラインの両端に設置し,ラインの途中は簡易的な自動機 (道具の延長)にして『少人化』と両立させる工夫をします.

[1-2] 困窮時,どの順番で削減するかを決めておく

『本流トヨタ方式』では,常に『目的は何か』を問い直して前進させます.

会社経営の目的は,『西欧社会では株主から預かった資金を有効的に使い利益をもたらし株主に還元する….』と考えます.


『本流トヨタ方式』では,日本式経営のEssence『3方よし (売り手よし・買い手よし・世間良し)』をベースにして,『関わった人間集団の末長い繁栄』がその目的になります.即ちGoing Concernなのです.国家に例えれば,国民の繁栄です.

企業が人員削減して成長を期すと言うのは,国家で見れば,高齢医療費を削減するなどの,一部の国民を犠牲にして生き延びる事と同じと考えます.最後の手段で,トヨタでは1950年資金繰りが悪化して倒産に危機に陥った時,創業の社長が先ず引責辞任して,その後,約2割の人員削減を実施し息を吹き返しました.以来,人員削減は社長の首と引き換えにするモノという不文律が生きています.

1-2-1. トヨタ生産方式に於ける減産時の対応順序

トヨタ生産方式の公式は

  1. 現金支出を削減するために,まず仕入れを減らす
  2. 『寄せる・停める』改善で作業工程を変更し改善要員を捻出
  3. 工程内在庫・完成品在庫を減らし,仕入れ量を更に減らす
  4. 余剰人員を製造ラインから外し,段替えと運搬の多頻度化
  5. 余剰人員を使って余剰設備の点検修理・改造と保全技能の訓練
  6. 更に余った工数で,繁忙期にできなかった教育訓練実施

の順序で現場のスリム化を図っていきます.

1-2-2. 減産時の対応を可能にする体制整備

現在ほとんどの会社では,工場内の各工程で生産する品目とその数量は,事務所にあるコンピューターを使って計算され,現場に指示するのが普通です.これをPUSH型と言います.

トヨタ生産方式では,全ての工程に在庫を持たせておいて,後工程に引かれた量だけをその日の内に後補充生産する仕組みになっています.もちろん生産のための原材料は前工程に取りに行くわけです.これをPULL型と言います.

(1) 購買品の納入指示をPULL型 (在庫後補充型)に変更する

ご家庭で調理場を預かっている人たちは,家にある在庫の中で料理を考えて作ります.在庫量として不足した分を買い出しに行き補充しておきます.それゆえに日常は在庫量の中で家族の望む料理ができるのです.

ところが多くの会社では,会議で決められた翌月の生産計画から,『MRP』に基づいて必要量を計算し,自動で発注されます. しかし,来月の必要量を発注するに当たって,今月末に,生産品番毎の残量がどれだけあるか不明ですので,毎回残量ゼロとして必要量を計算します.

さらに,仕入れ量が不足すると生産ができなくなりますが,正常な状態でも,設備の作動確認用,破壊試験用等に余分に納入させる必要があります.それ以外に不良品混在,加工不良時の追加生産等に使われる数量を予測して加える必要があります.更に,最小納入単位という契約があり,1,000個単位だったり,20kg単位だったりします.必要量が103kgでも,20kg袋が納入する単位で在れば,納入量は120kgとなります.

このようにして,PUSH生産,即ち計画生産に基づく発注 (MRP)は必要量より常に多めに発注する性質があります.PUSH型である限り毎月在庫は増えていきます.

一方PULL型 (在庫後補充方式)では,会社の調達品の在庫量は,ご家庭の冷蔵庫の管理と同じで,使って減った分だけ補充するので,最大在庫量は増えて行きません.

『Kanban方式』を採用すれば,在庫量は常に発行してある『kanbanの枚数』以下になります.そして,『Kanban』の枚数を減らせば,即Supplierの完成品倉庫と,自社のライン側までの在庫量を品番別に減らす事が容易にできます.

(2) 工場内の各工程の生産管理もPULL型 (Kanban方式)に変更

実際の工場では何十カ所の製造工程があり,それがサプライチェーンとして?がっていて,時々刻々夫々の製造工程に,『何をどれだけ,どのタイミングで作れ!』と指示するのは,不可能に近いことです.

これを解決するには『Kanban方式』の導入しかありません.

一例としてそれで,『甲』という工程から『乙』の工程へ,A,B,Cの3種類の中間製品を供給していたとします.「A」,「B」,「C」の3種類の連番を付けた『仕掛かりKanban』を準備し,通い箱に取り付けてスタートします.

後工程は「A」,「B」,「C」の3種類の連番を付けた『引取Kanban』を準備します.後工程から取りに来る頻度は,等間隔で10回/直が良いとされています.後工程は,生産によって使った部品の『引取Kanban』を持って前工程に取りに行き,前工程の在庫に掛けてある『仕掛Kanban』を外して『Kanban入れ』に入れ,引取Kanbanに付け替えて持ち帰ります.

前工程『甲』は,外れていた『仕掛Kanban』分を生産して,その『仕掛Kanban』付けて補充しておきます.

ここで大切なことは,全ての工程の材料置き場には品番毎に『引取Kanban』がついており,完成品置き場には品番毎の『仕掛Kanban』がついており,工場の中には一切『Kanban』のついてない通い箱入りの部品は無いということです.

工場内の全工程間をこのように『Kanban方式』で繋ぐ事によって,ただ『Kanban』の枚数を増減させる事で工程間の在庫量を自在に増減できるようになります.

さらに在庫を減らすためには,通い箱の中の収容数を減らして行きます.トヨタには『1個Kanban』という言葉があります.『1個流し』という言葉もあります.

究極の在庫低減は,作業者が,1個の材料を持って工程を回り,仕上げていく事で達成されます.


写真は初代MR2です.Midship-Engine, Rear-Drive, 2Sheater の略で,日本で初めてのミッドシップエンジン車でした.熱心な愛好家がいたため,月販数十台でも販売していました.普通の自動車会社では,量産しておいて,在庫を取り崩して販売するのですが,製造を担当してきたセントラル自動車は,溶接工程では一日1〜2台のボデーを,1枚ずつプレス品を運びながら溶接治具を廻って仕上げていきました.当時,『少人化』のモデル工程として,現場を担当する技術者として見学させてもらいました.

初代MR2 (GAZOOより)
(3) 寄せる・停める改善

先に『少人化』の説明で生産数に比例して作業者数を減らすと説明しましたがここにも『トヨタ生産方式』としての工夫があります.

  • 60個≧10人,54個≧9人,48個≧8人,42個≧7人,……

生産量が45個/hだったらどうするのでしょうか?


今月の生産個数が時間50個 (TACT-Time=60分/50個=72秒)だったとすればどのような体制で生産すればよいでしょうか.計算をすれば,54個から49個までは9人で生産が可能です.多くの会社では,9人の作業員に,作業を均等に割り振ると思います.

ここに大きな落とし穴があります.一時間に50個であれば1個当たり72秒.つまり,72秒に一個の割合で作ればいいということになります.一方この総作業時間は一時間に60個を10人で作っていましたので,1個10[分・人]で作れる事になります.9人なら67秒に1個作る実力があったわけです.

67秒に1個できる実力を持った現場を,72秒に1個作る体制にして置いたら,運動選手なら直ぐ解ると思いますが,その現場は,72秒に1個しかできない様に劣化して行ってしまいます.作業速さだけでなく,向上心や覇気も無くなってしまうのです.

トヨタ生産方式では,これを防ぐために『寄せる・停める改善』を行います.誰もがパソコンゲームに夢中になりますが,それは眼前の課題をいかに早くうまく対処できるかに挑戦しているからだと言えます.挑戦しているから,うまく行かないと悔しいと思うし,うまくいけばもっとうまくできないかを思い,時間の経つのも忘れていくことでしょう.

現場作業も同じです.自分の作業の速さに挑戦しているから,うまくいったら嬉しいし,うまくいかなかったら悔しいので,なぜだろうと考える.そしてまた挑戦する.仲間と一緒にやる場合は,どちらが早く終わるのかを競い合うことによって,楽しみが出てきます.そして共に挑戦することによって,働く面白さとプライドが生じてきます.そして生産性が上がり,自分たちの会社の基盤が強くなってきます.

〜Keywordはストレッチ目標〜

自分達の毎日挑戦する目標として,昨日までの実力に対して数パーセントのストレッチ目標を掲げる事にします.今の例で言えば,TACT-Timeは72秒ですから,60個作っていたときに作業時間で,先頭から2秒のストレッチ目標を与えて,74秒分ずつ要素作業を割り振っていきます.

そうすると,次のようになります.

\begin{equation} 600 \textrm{秒} \cdot \textrm{人} = 74 \textrm{秒} \times 8 \textrm{人} + 8 \textrm{秒} \cdot \textrm{人} \end{equation}

8人のストレッチ目標に挑戦する作業員と,作業遅れをリリーフする1人の作業員と言う体制ができます.

こうすることによって,減産による生産個数の変更をしても,各作業員は実力を落とすことなく常にストレッチ目標に挑戦し,成長し続けることができるのです.

このことを『寄せる・停める改善』と言います.

これによって浮いた工数は,運搬頻度向上させるために使い,工程内の滞留在庫を減らします.

なおこの『寄せる・停める改善』は,拡大すれば製造工程にも適用できます.

大は組立ラインから,小は工作機械まで,早に挑戦するラインと,遅さに挑戦するラインを作り,要員・設備を浮かし,次の飛躍に備えるのです.

『人を減らすな!在庫を減らせ!』の意味は

1987年,トヨタも高級車を生産することになり,田原工場がそれを担当することになりました.そこで,工場長・工務部長・検査部次長・製造部次長 (筆者)が,本場ドイツ行ってその製造現場を視察することになりました.VWAudiBMWBenz等の車両工場を主体に,しっかりと見学し,工場関係者と忌憚なく意見交換をしてきました.

余談になりますが,ドイツは非常に合理主義の国で,BenzVWは,日本進出に当たって,日本の人口の重心に近いことから,豊橋市に揚げ港とMotor Poolを設置し,此処で再整備をして日本各地の販売店に卸しておりました.

特に,そのドアやフードの建付けは,全数再調整しないと高級車として売れないということで,トヨタの田原工場の手直し要員が高給で引っこ抜かれて行ったとされています.日本国内でご近所付き合いをしていた仲でもあったのです.


1980年代は,ドイツは約百年の歴史を誇り,トヨタは50年目の新参者でしたから,大先輩として若造に教えるような具合で,工場の隅々まで見せてくれて,何でも意見交換ができました.詳しい話はまたの機会に譲るとして,当時のドイツの自動車工業の一面を紹介いたします.


当時のドイツの大学進学率は数%で (現在は30%?),進学するためには,日本で言えば小学年生から高校3年までの進学校『ギムナジウム』に入ります.

数年間の社会 (含む兵役)経験を経た後,自らの将来像を決めて大学の専門課程に入学 (入学は易しいが学位論文は難しい)します。その専門を売りに入社すると『開発』や『経営・管理』の専門職として働きます.


大学進学しない人は,夫々の職業学校に入学し,手に職を付けます.職業学校を卒業すると,国家資格を手に入れた職人 (ゲゼーレ)になります.同時に同業組合に加入します.加入しますと組合の規約によってドイツ国内における標準賃金以上の金額で就職ができます.

就職しますと『同一労働同一賃金』の原則で,勤続年数には関係なく,ほぼ一定の賃金になります.目立った功績をあげると,賃金は上げると言います.

作業員の上に君臨するのは『マイスター』です.

Benzのシュツッツガルツ工場で,あるマイスターのオフィスを見学しました.そこには担当する工程の作業員の全名簿が貼り出されており,勤怠状況が詳しく記入されました.A君は成績優秀である.B君は不良ばかり出している.あと1回不良をだせばクビにする・・・等語ってくれました.

不良の原因追及や,作業指導,部下の育成等の話は出ず.失敗した作業者を排除して入れ替える……と言う『マイスター』の姿勢に,驚きました.


一方,万一クビになっても,ドイツの自動車会社の従業員は強力な労働組合『IG Metal (イーゲー・メタル; 金属産業労働組合)』に加盟しており,再教育・,再就職は容易であると言います.その気があればすぐに就職ができる仕組みになっていると聞きました.


さらに驚くべき労働市場の実態を知りました.自動車の組立工は,組合の認めた標準作業時間に基づいて作業量を決められ,基本となる給与も決められているということです.その作業というのは驚くべきことに,スパナやドライバーを使って手で締め付ける時間を以て標準作業時間と決められていました.

実際の職場でそのとおりに作業時間が割り振られているかどうか,同業種組合の調査員が来て見て周り,規定より多くの作業が割り振られているときは,会社側に厳重に抗議をする……仕組みとなっておりました.

その結果,当時のベンツの一番廉価版のモデルAの組立作業時間は約20時間と聞かされ,トヨタのクラウンが約5時間というと,組合の壁でどうしようもないと残念がっていました.ただ,一人一人の作業量が日本の1/4しか無いことで,完全自動化がやり易いのが取り柄だとも言っていました.

もう一言ベンツの連中は反論しました.製造する工数はトヨタには負けているけれど,販売するための工数はトヨタよりもはるかに少ないと…….

当時のベンツは大変な人気で,注文した米国人はベンツからの知らせを聞いてわざわざシュツッツガルツまで車を取りに出向き,ゲストハウスでワインを飲んでいると,あなたのクルマが間もなくライン・オフしますという案内が来て,参観通路で検査工程を通過するわがクルマを見届け,翌日以降その車でヨーロッパを旅してやがてアメリカに持ち帰る……という話が流布されていました.その場で,トヨタもいくつかそのようになりたいものだと思っていました.

(1990年代,田原工場でレクサスの生産開始時,工場として,案内用の電気自動車とゲストルームを準備しましたが,時期尚早で全社展開には至りませんでした)


話を元に戻しますと,当時のBenzの中では

  • 設計 ≫⇒ 生産技術 ≫⇒ 製造現場

の序列が強く,設計は大卒でも多くが博士号を持つ超エリート,生産技術も同様のエリート集団だと言います.

≫⇒の記号は絶対の権限を持ち,後工程の発言を許さないことを意味します.

『設計』は約5〜6年掛けて,完璧な車両を設計し,設計図を作成します.

『生産技術』は1〜2年掛けて設計図を基に,工場設計し,設備配置,工程編成をします.

『製造現場』生産技術から,生産設備と製造工程表を受け取った製造現場は,人事部が用意した要員をマイスターが適材適所を配置しています.どの工程に,どの作業員を配置するかは,そして誰をクビにして入れ替えるかはマイスターの権限でした.


『西欧のレストランに皿洗いで就職すると,定年まで皿洗いをさせられる』という言葉があるように,ドイツの自動車の組立工場においても,タイヤを取り付ける人は,その会社にいる限りずっとタイヤを取り付け続ける事が普通で,多くの仕事をマスターさせようとすると,膨大な費用が発生すると考えるからです.

それゆえに,生産ライン立ち上がり当時に作った工程編成は,ベストな編成であると考え,その一部を全自動機に置き換える改善は進めますが,売れなくなったと  言って先に述べた『少人化 (Flexible 改善)』は考えず,数ヶ月分の在庫を積み上げた後,一定期間生産ラインを止め,作業員を解雇します.つまり体制は同じのままで,一定期間生産を停止することで,在庫量を調整するのです.それ故,その環境の下では,労務費は変動費として計上するのです.

そしてその裏には,クビ切られてもある一定の収入を確保できる社会保証制度と,再就職を助ける強力な労働組合があるわけです.

日本の労働環境の特異性 (民間製造業の例)

Benzの社内では,各機能が独立していて責任範囲が明確で,他部署からの干渉を許さない組織でしたが,1987年頃のトヨタの状況は,下図のようなっていました.

  • 設計  生産技術  製造現場

は,Concurrent・Engineering を表し,トヨタでは1970年カローラ2代目から始まり,全社的に展開していました.ドイツと違い,最終工程である組立現場の班長が設計部門に出向いて行き,開発中の試作車の分解組付けを行ない,作業性向上の提案をしてきました.

これはトヨタの中では,@生産性の向上A新車開発に参画したというモラールの向上に寄与しました.そして後日,B整備性の良さから中古車価格が上昇し,それが新車販売力に貢献している事が明らかになりました.


日本では,大卒以上の入社者は,有名大学に入学し,有名企業に入社すれば一生楽ができると言う輩が多く,入試科目 (高校課程の一部分)のみを猛勉強し,大学入れば学生生活を謳歌し,ただ楽をするために一流企業に入った……と思われる新入社員を数多く見てきました.受け入れた以上戦力するために,その配属先が,猛特訓して一人前にして育てておだてました.業務を進めながら上司が部下達の人物を見分け,能力のある人間をしごき,後継者として社内で育成してきました.結果として『井の中の蛙的世間知らず』の経営者が多くなりました.


高卒入社については,商業高校は事務所に,工業高校は保全部署等の特技を生かせる職場に配属になり,そこで更に技術を身につけて行きました.

問題はいわゆる普通科の生徒たちです.高校では受験勉強が優先し,社会に出て即役に立つ技能は何一つ身につけていません.この生徒たちは,製造企業においては,現場作業員として採用されてきました.


各製造現場では,戦力として立派に働いてもらうために教育訓練を行ないましたが,それは決して世間一般に通用するものではなく,その会社の,その職場の必要とする仕事ができるようになればよい……というだけの社員教育もありました.


組合活動は活発ですが,それはドイツのように産業別ではなく,会社別の組合でしたから,一旦首になれば会社から離れてしまい,世界に通用する何の資格も無いままに放り出されてしまう状態になります.つまり[人員整理]と言っても,産業別組合の強い欧米諸国に比べて,会社単位の組合しか持たない日本においては,その意味するところは全く違うのです.

読者諸君も,この違いをよく噛み締めた上で,『○○会社は何千人の人員整理を』という記事の社会的なインパクトをよく理解していただく必要があります.


『トヨタ自動車が公言した』とすると物議を醸し出しますのでこの場は『筆者の独断で言うと』としておきますがトヨタが存在するその本質は『共存共栄』にあります.『共存共栄』とは,近江商人の三方良しに似ていますが

  1. 顧客の満足
  2. 取引先・地元・環境の満足
  3. 従業員の満足
  4. 株主の満足
  5. 経営者の満足

と考えております.

最近マスコミで,日産の経営状態が話題になり,数が多く,報酬も大きいのに大した働きをしてないとして叩かれていますが,彼らはもしかして,経営者の満足を一番にあげているのかもしれません.この辺のことは後日『TOYOTAとNISSANの歴史をJコスト論で斬る』シリーズでお伝えいたします.


問題は(3) 従業員の満足に在ります.

『労働は神から与えられた罰である』とする旧約聖書の記述を信じるのであれば,皿洗いと言う係に就いたA君が毎日毎日皿洗いのみを担当し,生涯を閉じたというのは,神の命に従ったことで,なんでもないことかもしれません.

しかし,知的好奇心の高い日本社会においては,明けても暮れても毎日同じことを同じルーチンで行うということは,大変な苦痛です.

ラーメン屋でも,いっぱい一杯心を込めてラーメンを作り,客の反応を見ながらさらに美味しくすることはできないか,もっと客に喜んでもらえないかと,知的好奇心を旺盛に働かし,仕事を続ける中に,生きがいがあるのではないでしょうか.


このもっと良いやり方があるのではないかという知的好奇心を満足させる行いをトヨタ生産方式は『KAIZEN』と言います.

製造現場では,工業製品ですので,一定の品質レベルを満足すれば,あとは速さの問題になります.知的好奇心を使って挑戦するのは『作業の速さ』になるのです.


例えば,A君が作業を10%速く完成させる方法を見つけたとします.他の仕事に応用して数%は速くなるとします.

A君の会社が『会社都合で従業員を解雇する場合はまず社長が辞任する』という会社であれば,彼はその案を堂々と皆の前に説明し,皆も仕事が速くできるようになること驚き感動し,A君を褒め称えることでしょう.


A君が,従業員を一人解雇すれば,原価改善に功績があったとして課長が評価される会社にいたとすれば,A君が提案すれば,その結果仲間の誰かが解雇される事に繋がります.つまり改善をすれば仲間が解雇される様な工場では,少しでも良くしていこうという好奇心や精進する心がなくなります.その代わり,どうやって楽をしよう.手抜きをしよう・・・という心が芽生えてきて,職場は静かに崩壊してきます.

みんなが生きがいを持って働き,共に成長することをよろこびあう会社にするためには,『会社都合で解雇はしない』事と『KAIZEN』は必須なのでした.

思わず長話になってしまいましたが,トランプ関税によって世界経済が,リーマンショックよりもひどい状態になるという説もある中で,御社の世界同時不況への備えは万全でしょうか,弊社のお勧めする『人を減らすな在庫を減らせ』がお役に立てれば幸いです.

[2] 先回の続き,日米貿易戦争とトヨタの対応

先回クリントン大統領時の第二次日米貿易戦争についてお話ししました.

米国の強い要望で,GMのキャバリエを『トヨタキャバリエ』として改装して日本全国のトヨタ店を通して発売しました.米車好きの所ジョージまで動員して大々的に宣伝しました.最後は半値以下の叩き売りまでしましたが,目標の5万台には遠く及ばず売れたのは2万数千台だったと言います.

今回は日本におけるトヨタとサプライヤーとの関係の編成についてお話をし,それが米国においてどのように展開されていたか,そしてそれが今回のトランプ関税についてどのような影響を及ぼすかについてお話したいと思います.

[2-1] 1995年阪神淡路大震災時の調達部品状況

1995年1月1日付で,筆者は物流管理部長を拝命しました.

トヨタの物流部門は,国内はもちろん世界の末端まで完成車を運ぶ『車両物流部』,補修用部品を国内・全世界の修理工場まで運ぶ『部品物流部』,国内の遠隔工場および海外の工場で生産するに必要な部品を運ぶ『KD物流部 後に生産部品物流部』,それらを統括し,改善を推進する部署として『物流管理部』の四部から成り立っていました.

着任から間もない1月17日阪神淡路大震災が起きました.現場からの報告を受け,生産担当副社長が生産の全面停止を決め,各部署にかねて決めてあったライン停止時の実施事項を遂行するように命じました.

そして,完成車と生産用部品を博多港⇔名古屋港⇔仙台港を結ぶ専用のRORO船が停止するので神戸港に救援物資を運ぶ申し出でをして,所定の事前申請がないので断られた件は前回お話しました.


工場再稼働に向けて細部を詰めていた時に,東北地方からの部品がトヨタに届かないことが分かりました.

災害を受けたのは阪神地区です.その影響でなぜ東北地方からの部品が欠品するのか?サプライチェーンの問題として,生産管理部・購買管理部が中心になって調査しました.その結果は以下のようなものでした.

ドルショック・石油ショックを乗り越え,1980年代日本経済はバブル期を迎え,人手不足で生産が追いつかない状況に入ってきました.1991年,田原第3工場でトヨタマジェスタが立ち上がったとき,トヨタのSupplierから,『これ以上は作れない!』と言う悲鳴が上がったと言います.


Supplierは一般には一次下請け (Tear1),その下に二次下請け (Tear2)更に (Tear3), (Tear4)まであるとされています.下に行くほどだんだん規模が小さくなってゆき,末端では,ちょっとした道具と人手で行うレベルまでブレイクダウンされ,農家の副業として行われて例もある程,当時は人手不足の中で生産が急拡大して行ったと言われています.

その結果,Tear1が九州だったのに,Tear3は東北に在った等の例が続出したのでした.

トヨタのサプライチェーンマネジメントは,突然の事故,労働争議等を対象に考えており,部品は必ず複社発注とし,品質と価格を公正に競わせ,成長を促してきましたが,それは,トヨタの組立工場は愛知県内に在るということを前提としていました.

1995年現在,トヨタの組立工場は@九州地区,A中部地区,B東北地区に分散しており,地震大国日本では,東・南海地震,関東直下型地震,東北沖地震,北海道地震,富士山噴火等々の大災害尾可能性があります.災害の時こそ自動車が活躍して復興に寄与しなければならないのに,その自動車生産がダウンしては話になりません.

この時,トヨタは日本を『九州地区』『中部地区』『東北地区』の3分割しどの地区に大災害が起きても,他の地区は生産が維持できるようするという大方針を掲げ,グループ一体となって取り組み始めました.

1997年アイシンのPバルブ事件
註 P (プロポーショニング)バルブとは,急ブレーキ時リヤタイヤがロックしないように圧力調整する配管用鍛造加工部品,乾電池ぐらいの大きさ

1997年2月1日午前4時頃,アイシン刈谷工場で出火,4時間後鎮火.焼失したのは,トヨタの使用量の99%供給するPバルブ製造工程だった.即全トヨタの工場が停止ました.

アイシン本体は復旧工事を進めるとともに,図面を公開して機械加工メーカーに生産協力を依頼しました.Pバルブの製造を依頼されたメーカーの中で最速で届けたのは2月5日でした.即刻,自動車生産の再開ができました.

機械加工メーカーの協力によって極めて短時間で,所定の性能を示すPバルブを供給できたこと,消失した工作機械を,全力を挙げて製作し工場の復旧ができたこと.トヨタグループとしての稼働停止期間は5日間で収めたことは,トヨタグループの結束の堅さとして話題となりました.


危機回避の観点からのサプライチェーン改革を進めていましたが,言わば外様大名だけに『阪神淡路大地震』の再発防止を図ってきていて,譜代大名には抜かりがあったと,大反省をし,更に力を入れて,『三分割化』に力を入れていきました.

2011年 東日本大震災

3月11日午後被害日本を襲った大震災は,マグニチュード9,0という,観測史上最大級地震でした.その直後,沿岸部に巨大な津波が押し寄せ,多大な被害と多くの人命を失いました.さらにその津波は,原子力発電所冷却装置を壊し,メルトダウンと建物の爆発事故を起こし,多くの放射能を散らしてしまいました.

物流管理部長として,名古屋港は名古屋市の一角にあるのに,仙台港と仙台市がなぜあのように離れているのか疑問を持ち続けていた.大震災の一ヶ月後現地を訪れた時,仙台港は1階部分は津波の被害に遭っていましたが,建物は無事で2階以上は被害がありませんでした.そして仙台市は全く津波とは無縁でした.

関係者に聞くと,伊達政宗が大津波を経験し,海岸沿いに田畑を作るのを禁止,塩田のみを許可した.その痕跡が『塩』や『窯』『釜』の地名に残っていると言います.

しかもここから先は危険という石碑まであると言います.それ故,津波で家屋を流れた被害は,家屋の建設は行政機関許可が要りますから,行政の怠慢ゆえの人災である.と考えざるをえません.

原子力発電所の被害については,近くの女川原子力発電所が,津波を意識して高台に建てたことを考えると,危険を無視して建設費を安く収めた東京電力の経営者責任は免れないものと考えます.黙認した行政官庁も同罪と考えます


話をもとに戻します.

トヨタ自動車は,震災発生直後,ルーチンに従い全ラインを停止して,現状の把握を実施したと言います.

これだけの大災害対しては,豊田章男社長さっそく現地に飛び,日本を襲った未曾有の災害に対しては,まず人命第一,社会活動の復旧,その次に営業活動に移るべきで,それを実現するために,現地で指揮をしたと聞いています.

そして東北復興のために,岩手県に加えて宮城県にもトヨタグループの工場を誘致して,意識的に『九州』『中部』『東北』の3大生産拠点構想を樹立し,新工場を建設しました.


TNGA (Toyota New Global Architecture)は,次世代の良いクルマづくりのための設計標準と考え,これによって車両の構成部品の標準化が進めば,部品の種類が減り,量産効果が出るという考えで進めていました.

が,東日本大震災の経験は,異常時におけるサプライチェーンの堅牢さをもたらす事を体感し,より実現への力が入ったのでした



次回は,日本で災害の中で強化されてきたサプライチェーンマネジメントとTNGAによる部品の共通化,常にトヨタと共に進出し,トヨタよりシェアを伸ばす強力なSupplier群の働きによって,トランプ関税課の米国大陸の中で,トヨタがいかに有利な商売ができるのかを,説明します.ご期待下さい.

今月は,有名な会社が堂々と人員整理の話をする姿勢に腹が立ち,弊社のスローガン『人を減らすな在庫を減らせ』に紙量を使ってしまいましたので,『TOYOTAとNISSANの歴史をJコスト論で斬る』は今月もお休みします.ご容赦ください.


2025年5月21日
(株)Jコスト研究所 代表 田中正知



2025年4月

所長の季節の所信表明

4月も早,中旬を越しました.

皆様いかがお過ごしでしょうか.

弊社のある名古屋市緑区の扇川の土手は,住民のための遊歩道として整備されていますが,そこには樹齢30年の染井吉野の並木になっていて,絶好の花見場所でもあります.今年の満開はやや遅く,4月の第1週でした.今週は,近くにある街路樹の八重桜が満開です.

拙宅の庭には,春の味覚を伝える2種類の庭木があります.一つ目は苦心して育てようやく付き背丈前伸びた山椒.もう一つは『五加木』,これは米沢藩上杉鷹山で有名ですが,信州でも春先に食されており,実家から移植したものです.我が家ではこれらを食して春を実感する習わしでいます.今年も例年通り家族で食し,春を実感いたしました.

穏やかな身の回りから目を外にやると,地球規模の大混乱が渦巻いています.

『ロシアによるウクライナ侵攻』,『イスラエルによるパレスチナ攻撃』等に代表される武力衝突.異常気象に起因する食糧危機等々,枚挙に暇がありません.

しかしなんといっても我々の生活に直結する『トランプ関税』こそが一番の問題だと思います.

今月は,トランプ関税問題のうち,筆者が体験した『日米自動車戦争の歴史』をお伝えします.

有名な『孫子の兵法』には,
勝兵は 先ず勝ちて しかるのちに戦いを求め,
敗兵は 先ず戦いて しかるのちに勝ちを求もとむ.

というのがあります.

今回のトランプ関税は,高らかに関税額を歌い上げましたが,株価の下落や 国債の利回りの高騰を見て『朝礼暮改』をしています.孫子から見ますとこれは負け戦です.

日本側の関税交渉団の活躍で勝機を勝ち取ってもらいたいものです.

とは言うものの,いよいよ4月から輸入完成車に25%は4月3日から,輸入自動車部品には5月3日から課税される事になっています.各メーカーとも数カ月分の在庫を抱えていますので,市中の販売価格に変化が現れるのは,在庫が切れてからと言われています.輸入車がどのような価格で市中に出回るか注目です.

TOYOTA在籍中に日米自動車戦争を2回経験していますので,その概要と,それを通じって米国市場でTOYOTAはどのように進化していったのか概要を説明したうえで,今回のトランプ関税に如何に取り組むかをOBとして説明したいと思います.

(1) 第1次日米自動車戦争 1980年〜

  1. 1973年のオイルショック以降,燃費が良く,品質の高い日本の小型車がアメリカ市場で急速にシェアを拡大して行きました.
  2. 一方,アメリカの自動車メーカーは,大型で燃費の悪い車が中心であり,品質面でも日本のメーカーに劣るという状況でした.そのため,日本車の攻勢により,アメリカの自動車メーカーの販売台数は減少し,業績が悪化しました.
  3. アメリカの自動車産業の労働組合(全米自動車労働組合,UAW)や議会を中心に,日本からの自動車輸入の急増に対する不満が高まり,「雇用が奪われている」という声が強くなりました.
  4. 1980年共和党のレーガン大統領が就任
    自由貿易を謳う共和党としては輸入制限を掛けるわけに行かないので,アメリカ政府は日本政府に対して自動車輸出の自主規制を強く求めるようになりました.
  5. 日本の自主規制:
    アメリカ政府の強い圧力に対し,日本政府は1981年5月,対米自動車輸出の自主規制措置を導入しました.当初は年間168万台を上限とするもので,その後数年間継続されました.高品質・低燃費の日本車は市中では引っ張りだこで,プレミア付きでの取引きが出るほどでした.
  6. 米国政府の意向を汲んで,日本のHONDAはオハイオ州,NISSANもテネシー州に生産工場を進出させました.アメリカ国内での現地生産を本格化させ,貿易摩擦の緩和を図りました.
  7. TOYOTAは,GMとNUMMIという合弁会社を設立(1983年)しました.これは,『トヨタ生産方式』を学びたいというGMのスミス会長と,北米の自動車部品の『Supplierの実態と,物流業者の使い方』などを知りたいTOYOTAの豐田英二会長とが意気投合してできた会社でした.
    GMから派遣されたNUMMI準備要員と親工場になる高岡工場で合宿し,高岡工場の現場管理資料を精査し英文化していきました.仲間内で育ててきたTOYOTAの現場管理Systemが,GM選りすぐりの優秀な人材と共に逐一英文化する中で,理路整然とした管理体制に再構築されて行ったのです.一番勉強になったのがTOYOTA自身だったと思います.その一つが『改善』という概念は『improvement』では表現できない,欧米にはない文化で『KAIZEN』とすべきだ,と米人に教わりました.1985年に本格稼働開始したこの工場の活躍ぶりは『NUMMIの奇蹟』とネットで検索できます.
    話はわき道にそれますが,NUMMI自体は2010年GMの倒産とともに一旦解散しますが,同年テスラ社と業務提携し,此のNUMMI工場は言わば『居抜き』の形でテスラ社に譲渡されます.
    『UAW』の影響下には在りますが,北米1番と言われた品質と生産性を持った活きた工場を,テスラは手に入れたのでした.従業員を温存すれば,素晴らしい工場になると誰もが思いましたし,初期のテスラの品質問題は耳にしません.
    一方,中国等で,『家電メーカー製のEVが爆売れ』という報道が在りますが,かつてTOYOTAで各工場から人を集め新工場を立ち上げ,新型車ソアラを生産した経験を持つ筆者には,他業種から参入し,爆発的数量を販売しているというMakerの品質保証に疑問を抱いております.暴走・車両火災・再始動不能等々の事故が起きないことを祈るのみです.
  8. 話を元に戻しますが,NUMMIで学んだことをベースに,TOYOTA自力でケンタッキー州にTMMK工場を建設し,同年カナダ オンタリオ州にTMMC工場を建設しました.1986年でした.これにより100万台/年の設備能力を確保したのでした.

日本の自動車メーカーがアメリカ国内で生産を始めることで,アメリカ国内での雇用創出にも貢献しましたが,同時にアメリカメーカーとの競争はより激化しました.GM・FORD ・CHRYSLERのいわゆるBIG3は,強力な労働組合『UAW』の抵抗,旧態依然とした企業風土に阻まれ,軽量化,低燃費化が進みませんでした.

1989年『The Machine That Change The World』発刊

1985年レーガン大統領は,『40年前に焼け野原した日本が,なぜ戦勝国の米国を凌ぐような自動車を作るに至ったのか調査せよ』とMIT(マサチュセッツ工大)の研究グループ『IMVP (International Moter Vehicle Program)』に命じたのでした.

1989年に調査結果が報告され,以下の(A)(B)(C)が日本の飛躍の元であるとされました.

  1. 米国Deming博士の提唱する『TQC』を真面目に展開している.
    その一環として製造現場では『QCサークル活動』が盛んで,現場の作業員が,自分達の職場の課題を見つけ,自分達で改善していく中で,品質向上や生産性苦情を成し遂げるだけで無く,その活動の中に自分たちのやりがいを見つけている…….
  2. 『TWI (Training Within Industry)』を米国から導入して活用している.
    日本の製造業は此のTWI を使って優秀な工員を養成し,安価で高品質の商品を生産していたのでした.
    註;『TWI (Training Within Industry) 米国で実施された,第二次世界大戦中の招集された工員に代わって動員された主婦などの未経験者を,一刻も早く一人前の工員として働いてもらえるように指導する現場監督者のための教育プログラム』
  3. MITの経済学者がつぶさに,NUMMI (GMとTOYOTAの合弁会社),日本側の親工場,高岡工場を徹底して調査した結果,驚くべき発見をしました.
    全世界がBestと考えていたFord 氏やThrone氏が造り上げた大量生産方式とは全く異なったConceptの『トヨタ生産方式』で,Supplierを含めグループ全体が動いていることが発見されたのでした.
    Essenceを紹介すれば,10個の部品から成り立つ工業製品を,10頁の会議資料に例えれば,それを100冊作るのに,『大量生産方式』では,先ず各頁100枚連続コピーし,全部揃ったところで10枚ずつセットして完成させます.『トヨタ生産方式』では1〜10頁分をコピー機に覚えさせ,1部ずつ印刷していく方法を採ります.紙が半分しか間に合わなくても,半分の資料が完成するのです.このようにギリギリの材料で,ギリギリのTimingでも,間に合った分だけの完成品ができる生産方式でした.

米国としての対応は

(A)のTQCについて

米国の現場はHispanicに代表されるように,米語を満足に話せない移民などが多く,日本のようなQCサークル活動は無理であるが,日本の管理者は『問題解決』は現場任せで,上司のご機嫌取りでゴルフ・カラオケ・麻雀に現を抜かせている現状を把握していて,この日本に勝つためには管理者・経営者を対象にした『経営品質』に焦点を絞り,『TQM (Total Quality Management)』と言う手法を編み出して,全米国に展開をした.更にそれを使って成果を上げた企業には『Malcolm Baldrige National Quality Award (マルコム・ボルドリッジ賞)』を国として授与する仕組みを作ったのです.

1990年以降,日本でもお馴染みの米国大企業が受賞しています.(GM・IBM・FedEx・AT&T・Texas Instruments ・Ritz-Carlton Hotel・Kodak・3M・Boeing Airlift・……)

この頃,東芝がLap Top型パソコン,次いでNote型パソコンを発売し,やがて『Windows 95』が普及し,これが米国のOfficeを劇的に変えました.事務処理が標準化され,電子化され,それが大型電算機のERPに繋がり,全社的統合Systemとして完成して行くのでした.

具体例を紹介しますと,1995年,アーカンソー州にある米国の巨大スーパー『ウォルマート・ストアーズ』の本社を訪問したとき,北米全店舗の約10万点の商品の今日一日の売れたDETAと仕入れたDATA等を,自前の衛星通信で本社が把握して,分析すると言います.

北米大陸が広いので,春は南から北へ登って行き,冬は北から南へ降りてきます.

従来の販売実績をもとにして,どこどこの店舗では明日はどの品がどのくらい売れるか.現在の在庫量がわかってますから,明日の午前中に何をどれだけ補充すればよいのか,計算できます.これに基づいてセンターデポから各店舗への配送計画ができ,最小の在庫で最大の効果を上げることができる…….ということでした.

会社としての商品の売れ残りは3%以下に抑えることができ,これがアメリカで一番安い店と言われる所以でもありました.

そのために,ありのままの市場の動向が必要で,販売イベントは一切やらず,『Everyday Low Price 』の方針を貫いているといいます.

『ウォルマートl』自体は日次運営体制になっていましたが,Supplierが週次でしか対応してくれないので,毎週需要予測をSupplierと協議して決め,売れ残りのロスはサプライヤーと折半するというルールで運用していると教えてくれました.

1995年当時最先端はそこまで進んでいたのでした.

一方,当時の日本では,戦後の復興時に先輩たちが自前で作り上げた各社各様の『経営管理体制』で1980年代までの急成長を成し遂げましたが,それを自社の『経営管理』が優れているからと勘違いして『Japan As No.1』の自己陶酔に掛かり,欧米の,事業のGlobal化に対応できる『経営管理System』を学ばずにいました.

1990年代に入ると,日本では,眼前に突然1/30の賃金で働く中国の巨大労働市場が開け,世界規模で見れば資本主義は共産主義勝ったということになり急遽グローバル経済が進んでいきます.全地球規模の市場競争が激しさを増し,経営管理体制の不備から日本がズルズルと遅れをとってしまいました.

(B)のTWIについて

各社は大戦中に実施していたため,米国政府は特に対策を取りませんでした.後日,次の『Lean生産方式』とセットにして一部企業で復活しました.

(C)経済学者と『トヨタ生産方式』との出会い

調査に当たったMITの経済学者達は,『トヨタ生産方式』のConceptに驚きました.しかし,その中には欧米の企業では受け入れにくい要素も多々ありました.そこで彼等は,現在の欧米企業が取り入れ磨きを掛ければTOYOTAに追い付き,追い越せる項目に限って編纂した,ガイド本を発行しました.それが『The Machine That Change The World』(1989年)でした.著者のウォマック博士は,自ら会社を発ち上げ,実践を通して実務編として『Lean Thinking』を上梓しました.これらの本は,米国大手製造会社のTOPに読まれ,特に『Just In Time』は各社に導入されていきました.GE社,ボーイング社などは有名です.

(2) 第2次日米自動車戦争 1993年〜

当時,GDP第一位の米国,第二位は日本でした.

クリントン大統領(民主党)時代に日米自動車摩擦(1993年〜1995年)が再燃しました.その背景として,1980年代後半から,アメリカの自動車産業は自ら痛みを伴う改革をしなかったため,日本の北米生産車に対しても,価格と品質で後れを取り,米国車は市場シェアを大きく失いました.

BIG3の経営陣は,自社の改革よりもロビー活動に力を入れ,日本の市場が閉鎖的であり,アメリカ製品の輸入を阻んでいるのが自動車貿易の不均衡のもとと主張しました.特に自動車分野において,アメリカは日本に対し,部品の輸入拡大やディーラー網の開放を求めました.

主な出来事

1993年

クリントン大統領は,日本に対し,自動車部品の輸入目標を設定するよう求めました.日本は,目標設定は市場原理に反するとして拒否しました.

1994年

日米包括経済協議が開始されましたが,自動車分野での合意は得られませんでした.

1995年

アメリカは,日本車の高級車(レクサス)に対する100%の関税を課すと発表しました.当時のレクサスの革シートは,テキサス産の牛革を使っていましたので,牛革の販売維持を名目にレクサス100%輸入課税の反対運動を起こしてくれました

州民にとってはTOYOTAという名の『我がテキサスの会社』になっていたのでした.他社のように,減産になっても 業員はLay offせず,地域行事に積極的に参加することで,地域住民に受け容れられたのでした.

テキサス州民たちの反対運動がどれだけ利いたかわかりませんが,レクサスの100%関税な取りやめになりました.

アメリカの乗用車を日本で売る

その代わり,米国から一定額の部品を購入することと,米国車『シボレーキャバリエ』を日本仕様に改造し『トヨタキャバリエ』としてTOYOTAのディーラーで販売することで完成車の案件は収まりました.(1996年〜2000年)

トヨタ キャバリエ (トヨタ HPより引用)

「キャバリエ」は,ゼネラルモーターズ(GM)の小型4ドアセダンである.スポーツカーと大衆車を中心とした銘柄のシボレー製で,初代は1982年に誕生した.

アメリカ車を日本でより多く販売するため,トヨタがGM車を売ることになり,1996年から,3代目のキャバリエの4ドアセダンと2ドアクーペを国内販売したのである.

キャバリエは,元気に走るクルマだった.しかし,エンジン騒音はそれなりに大きく,運転操作に対する走行感覚も荒々しい面があった.1989年に国内の自動車税制が改定になり,3ナンバー車への税額が排気量3.0リッター以下は軽減された.とはいえ,キャバリエ自体の質感で,3ナンバー車の税制や経費を自己負担するのは消費者にとってむずかしかった.

日米という二国間の経済的均衡を保つことは,クルマにおいてはむずかしく,今日なお解決されずにいる課題のひとつといえるだろう.なぜなら,アメリカ人にとって小さなクルマは興味の対象ではなく,逆に日本では大きすぎるクルマは手に余るからだ.さらに上級車種ならまだしも,廉価な実用車で大きいクルマは一部の関心しか得にくい.

東洋経済オンラインより抜粋

CMをバンバン流し,販売店も頑張ったのですが,思うようには売れませんでした.今回のトランプUの場合は,どんな車を売れというのでしょうか……?

この辺りの苦労話は下記YouTube動画で詳しく説明されています.

アメリカ製自動車部品を日本の工場で使う

一定量買わされた米国産自動車用部品については,トヨタとしては重大な問題がありました.『トヨタ生産方式』では『自働化』という概念から,品質問題は工程内で全て解決し,工程を出たモノは全て合格品になるように工程設計します.言い換えると,万一不良品が発生しても,その工程内で対処し,合格品のみが次の工程に行くようにしてあります.

乗用車の組立ラインでは,1,500〜2,000点/台の部品を組み付けて完成車にします.各部品に0.1%の不良品が混在しても,完成車ベースでは合格車が1台も無いことになります.

ところが,当時のアメリカの経済学には『適性品質』『過剰品質』という概念があり,不良率を0.1%⇒0.01%と下げていくと,製造コストが幾何級数的に増えてくるとし,上限でも3σ(0.3%)位の不良率がコストミニマムであるとされていました.

一方,TOYOTAの現場では,装置産業化されているので,初期設定で不良ゼロにすれば,以下同じ精度で製造できるので,不良率ゼロを追求することが,一番利益になると経験でも実証されていました.

いざ,米国から部品を輸入して見ると,本当に数パーセントの不良品が混じってました.このレベルでは到底トヨタのラインに直接投入できないので,一旦全数検査する工場に送り,そこから組み立て工場に搬入することにしました.

従来のトヨタのサプライヤーからの部品代に比べて,大変高いものになりました.

その後,全米にトヨタ生産方式(Lean生産方式)が行き渡るとともに,自動車業界では,やり取りする部品はあくまでも100%合格品が常識になりました.


以上が第1次・第2次日米自動車戦争の筆者から見たいきさつです.

1997年以降,更に数多くの工場を建設するなど,米国に溶け込むための施策を打っていますが,それは次回をお楽しみにして下さい.

報道機関では,歴史を遡らず,今日のことのみの情報をうわべのみ報道しているのが残念です.

この記事が皆さまの参考になれば幸いです.

尚,連載しています『TOYOTAとNISSANの歴史をJコスト論で斬る』は今回お休みを頂きました.


2025年4月21日
(株)Jコスト研究所 代表 田中正知